岡谷市川岸の三沢熊野神社です。祀られているのは熊野三社ですけども、地元の長老から手に入れた資料によれば、ここはアイヌの遺跡だったらしく、出土品からもそれは証明されているとあります。
だったらその出土品とは何なのかを追求したところ、さらなる資料をいただくことができましたが、それについては「諏訪古事記」で触れることにして、ここは諏訪大社のルパン三世笠原建二大総代の地区。もう偉いんだか変態なんだか判らないですけど、笠原さんの木遣りは素晴らしかったです。
それに下社(春宮・秋宮)エリアなのに皆さんとても品があり、これも大総代笠原さんのお力かと思いきや、その大総代が一番…………
曳行開始時には雨が降っていましたが路面が濡れているため御柱がよく走り、曳き子が少なくても御柱は進みました。
けど、この地区もご多分に洩れず次から次へと接待場所が設けてあって、そのつど飲めや飲めやで御柱が止まるたびにお神酒をいただいていました。
そして曳行再開は笠原さんの木遣りを合図に”ヨイサ、ヨイサ”で滑り出して、予定時間よりも早く熊野神社境内への曳き付けが終了しました。嘘みたい。けどめでたしめでたし。
☆写真1:ルパン三世笠原大総代の木遣りでいよいよ曳行開始。昔ながらの木遣りを継承する笠原さんの木遣りは素晴らしかったです。
さすが諏訪大社の大総代。
☆写真2:その大総代と記念撮影。小宮御柱祭りでも偉い人なんですけど、それを知らないとただの怪しいおじさんです。笑える話をたくさん聞きましたので、機会があればお話しいたします。
☆写真3:見事に冠落としをされた熊野神社二之御柱。
ボクの腹かけに刺繍された紋(写真2)は、冠落としをして三角すいに尖った御柱を真上から見た姿をデザインしたオリジナルの”御柱紋”で、その元になっているのがこの三角すいです。