「諏訪古事記 番外編その13」

武田信玄は戦いに挑む際に「南無諏方南宮法性上下大明神」の御旗を掲げていました。”諏方”とは”諏訪”のことで、武田信玄と諏訪地域は切っても切れない関係にあります。
それで、信玄の跡取りで諏訪氏の血を持つ勝頼を調べていると勝頼の母、つまり信玄の妻である諏訪御料人が療養していたとされる岡谷市湊(みなと)の龍光山観音院へと行き着きました。
この龍光山観音院の十一面観音は春と秋、お彼岸の朝のわずかな時間に空からと諏訪湖に反射したふたつの太陽に照らされるんです。
しかもそれが発見されたのはわずか9年前のこと。現在の中島住職が朝のお務め中、十一面観音に陽が当たって突然輝いたとのこと。日本のアブシンベル神殿だ。

ご本尊の十一面観音は諏訪湖で漁夫の網にかかって引き上げられたそうで、諏訪湖に向けた観音堂に祀られています。
また、この観音堂の向きがどう考えても不自然なんですが、長年その理由が判りませんでした。
しかし現在の住職が春のお彼岸(秋のお彼岸だったかも?)の朝、いつものようにお務めをしていると、背後から照らす太陽の光が十一面観音を照らし、しかもその光は下から上へ向かって当たっているではありませんか。
不思議に思った住職が振り返ってみると、なんとまぁそこには真東を向いた狭い山門のすき間から、ふたつの太陽がこちらを照らしてたのです。
ひとつはもちろん空に輝く太陽ですが、もうひとつは諏訪湖に反射した太陽で、上下にふたつの太陽が輝いていたのでした。
向きが不自然な観音堂は春と秋のお彼岸に、真東からふたつの太陽が仏を照らす造りになっていたわけです。
住職がそれを発見したのが2007年なのでわずか9年前のこと。ですから先代住職も先々代住職もそのことは知らず、9年前に初めてそれが明るみになったんですって。
それが発見される前年2006年には豪雨でここ岡谷市湊に大きな被害がありまして、そのことが記憶にあったので住職に聞いてみると、やはり大きな被害の翌年のことなので、仏様のお導きなのかもしれないとおっしゃってました。きっとその通りだと思います。

最近は春・秋のお彼岸、つまり春分や秋分前後になるとカメラを持った人たちが朝早くから観音堂の前に詰めかけますが、なかなか晴れる朝は少なく、来年春のお彼岸を楽しみにしておられました。
誘っていただきましたが、うっ、来年のその日は小野神社で御柱祭りの山出しだ。

当院には古くからこんな歌が残されています。
「月も日も
湖水の波に写ろうて
龍光山にひかり輝く」
諏訪湖を龍に見立てて、そこに映しだされる光が届く山だから龍光山なのでしょうか。
以前、龍光山には月を眺めるための観月堂が建っていましたが、歌には”月も日も”とあります。
ということは、月だけでなく太陽の謎も大昔は知っていた人がいたのかもしれないですね。

諏訪御料人ですが、井上靖の小説「風林火山」では由布姫の名で登場していまして、ここ龍光山に供養塔があります。
毎年5月3日は供養祭で、今まではそれに合わせてご本尊の十一面観音もご開帳されましたが、ふたつの太陽現象が発見されてからは5月3日に加え春分・秋分もご開帳されるようになりました。
誘っていただきましたが、うっ、来年5月3日は小野神社で御柱祭りの里曳きだ。

2016/11/10 23:53

2016/11/10 23:53

2016/11/10 23:53

2016/11/10 23:53