糺日本書紀 part10

part9の続きです。
新羅の武烈王になった金春秋は、若かりしころ蹴鞠をしていて金ユシンの妹の文姫(ぶんき)と出会いました。まぁ作り話ですけど、歴史上はそういうことになってます。
そして金春秋と文姫の間にはやがて新羅の文武王(ぶんぶおう)なる法敏が生まれるんですが………………

蹴鞠をしていて金春秋の衣装の紐が切れたとき、なぜ姉の宝姫(ほうき)は金春秋の前に姿を現さなかったのでしょう。
それは宝姫がそのときすでに妊娠していたからと推測されまして、金春秋と文姫の子になっている法敏は実は姉の宝姫が生んだ子のようなんです。なので父親は金春秋ではありません。

そのことについては文姫が宝姫のユメを買い取ったというエピソードが暗示しているんですが、長くなるので省略します。

なぜ宝姫の子を金春秋と文姫が育てることになったのか?
どうやら姉妹の兄である金ユシンが企んだことのようで、宝姫の子の父親が持つ血統がいつか役に立つと考えていたのでしょう。
そしてイザとなったときの切り札としてそれを隠しておいた。
それで金春秋にはお前を新羅の王にしてやるけど、条件として宝姫の子を育てろと。
あっ、それと、金ユシンは姉妹の兄ということになってますが、おそらく姉妹の兄ではなく叔父です。
というのも、金ユシンは西暦595年生まれですが、姉の宝姫は620年代中頃、妹の文姫は620年代後半の生まれと考えられていますので。

だったら法敏の父親は誰だってことなんですが、それが高句麗の莫離支(まりし)王であらせられる蓋蘇文(がいそぶん)先生ということらしく、それって大海人皇子ですよね。そうっす、後の天武天皇っす!

そして、日本書紀では天武天皇の孫(ということになっている)軽皇子が第42代文武(もんむ)天皇として即位しているんですが、その文武天皇こそが誰あろう蓋蘇文の隠し子?たる新羅の文武王に他ならないんです。
信じられますか、こういった話を。慣れないと無理かもしれませんね。思想がついてこないでしょ。ボクも最初はまったく意味が判りませんでしたから。
ナニ言ってんの、って。

万葉集にはホトトギスをうたった歌が多いようですね。
そのうちの一部でしょうけど、ホトトギスは天武天皇を暗に示しているのだとか。
なぜなら、ホトトギスは別の鳥の巣に卵を産みつけ、我が子を育ててもらうからなんですって。
なるほど、天武天皇(当時は蓋蘇文)は金春秋と文姫に我が子である法敏(新羅の文武王=第42代文武天皇)を育てさせたんですからね。

日本のアカデミズムは海外の資料を軽視しており、日本の歴史は日本に残る資料だけで物事を解釈したがる傾向にあります。(魏志倭人伝に出てくるヤマタイコクの所在地について以外は)
まぁそれも仕方ないことで、そうしないと天皇家の万世一系が崩れてしまいますから。
それと魏志倭人伝のヤマタイコクについてですが、あれも漢文を古代の訳し方で解釈してないので滑稽なことになってます。けど今はいいや、ヤマタイコクのことは。

天智・天武の時代よりもずっと以前から、現代人が考えるよりも当時の人は大陸との往き来が盛んであり、百済と倭国、あるいは新羅と倭国の王を兼ねた権力者がいたことを認識しないことには、日本の歴史は歪められたままでしょう。
歪んだ過去を糺した分だけ未来を正しい方向へ向かわせることができるんですけどね。