白山信仰における数霊的作為

この話は数霊的解釈でしかないと却下されるか、あるいは暴言として非難されることになるのか……………

今まで話すことができなかったんですが、白山信仰を語るにおいて”九頭龍”と”十一面観音”と”菊理媛”はキーワードです。
なぜ九頭龍・十一面観音・菊理媛なのかの答えを多くの研究家が追究し、彼ら研究家は寺の住職であろうが修験的な信仰者であろうが宗教学者であろうが、もっともらしい答えを導き出すために古き文献をあさり、現地にも足を運び、熟慮の結果を書籍にまとめてこられたと思います。

ですからこの話をオープンにできるはずもなくずーっと黙ってようかと思ってたんですが、10月の白山ツアー(満員御礼ありがとうございます。というか、定員オーバーで申し訳ありません)でお話しすることに決めたので、数霊屋総本家ではひとあし早くお伝えします。

現代に伝わる白山信仰といえば、福井県勝山市の平泉寺白山神社が始まりですよね。
717年4月1日、その名は”越の大徳”(のちの泰澄)が、白山の麓の池(平泉寺白山神社の境内にある泉がその池と考えられている)で祈念すると貴女が現れまして、この貴女は妙理大菩薩と名乗ったことになっています。
妙理大菩薩なので、すでに仏教的な要素が満載で、古くから伝わるシラヤマ神(おシラさま)信仰とは関係ないはずです。
そもそも白山を”ハクサン”と呼び始めたのは江戸時代になってからのことらしく(おそらく1670年前後)、それまでは”シラヤマ”でした。
このシラヤマ神(おシラさま)の”シラ”に漢字の「白」を当てはめたことから徐々に信仰が歪み、なので秦澄が白山の山頂で感得した神仏は最初が九頭龍ですし、秦澄が九頭龍を受け入れずに追い返すと、次に十一面観音が出現します。(神を選別する話は役行者のそれを真似たのか?)
また、最初に現れた貴女の妙理大菩薩はいつからかイザナミになり、その後は菊理媛(ククリヒメ)に結びつけられたため、今や白山信仰と言えば九頭龍・十一面観音・菊理媛は誰もが疑わぬセットになっています。
※ククリヒメが高句麗ヒメであるかどうかは別問題なので、ここでは取り上げません。

さて、実はこの九頭龍と十一面観音と菊理媛をセットにしたのは、さほど名も知られぬ修行僧だとしたら……………

時代は古くてもせいぜい平安時代中期の800年代後半~900年代前半あたりか?
彼はシラヤマの”シラ”が「白」であることから、ある数字を連想しました。
そう、「白」=99。
皆さんご存じだとは思いますが念のため、
「百(100)」-「一(1)」=「白」
なので、「白」は99というわけです。
そして、99=9 × 11であることも修行僧は当然気づいていました。
そこで秦澄と神仏の関係に具体性と神秘性を持たせるために、まず現れたのを九(9)頭龍に定め、次に十一(11)面観音に出現してもらったのでしょう。
これで9 × 11=99が完成し、九頭龍 × 十一面観音=白(山信仰)の式を作りあげました。
さらに彼はこの式を発展させ、せっかくなら「白」=99を九九(理)にしてしまえと考えたんですね。
それで、九 × 九の理(ことわり)である菊理媛(ククリヒメ)をここに結合させました。
9 × 11=99から生まれた白山信仰の神々。
それが、九(9)頭龍 × 十一(11)面観音=白(99)山信仰=菊(99)理媛です。
ただし、この数式に菊理媛が加えられたのはずーっと後になり、名も知られぬ修行僧2世によってのことかもしれません。
なので今でも菊理媛を祀る白山神社は全体の2割か3割か、その程度しかないわけです。

というわけで、白山信仰に登場する神々は平安時代中期の名も知られぬ修行僧1世…………勝手に名付けて”数霊行者”にしましょうか…………が独自に創作したストーリーであることを暴露しても、白山ファンや菊理媛親衛隊からは非難されることになるんだろうな。
って、ボクだってショックでしたけど。

古くからのシラヤマ神(おシラさま)に神の名を当てはめるとしたら、シラヤマ神の性質上からして瀬織津姫がもっとも相応しいのでは。
姫神にこだわらなければクナト神か。
さらに時代を遡るのなら縄文時代の神であり、諏訪では今も生き続けているミシャグジ神になるわけです。
そういえば、瀬織津姫やクナト神を祀る岐阜県石徹白(いとしろ)の白山中居(ちゅうきょ)神社を真東に進むと、ピッタリ諏訪大社の前宮に行き着きます。
前宮こそがミシャグジ神の本拠地なので、諏訪と白山(シラヤマ)はここで接点ができました。