2022 上社”里曳き”

諏訪大社のオンバシラ祭りは「式年造営御柱(みはしら)大祭」が正式な名称で、6年おきの寅年と申年におこなわれます。
4月の”山出し”は上社(前宮・本宮)も下社(春宮・秋宮)もトレーラーでの運搬になってしまいとても残念でした。
そして5月。3~5日は上社の”里曳き”で、人力で曳くことになりました。

しかし、綱を曳く氏子は事前に申し込みが必要で、それをしてないと参加できないとのこと。もちろん氏子以外は参加が不可能なので、仕方ないから今回は見学だけにしておとなしくしてましたよ、初日は。
茅野駅前のホテルからオンバシラがスタートする場所まで徒歩で行き、オンバシラがちっとも動き出さないため、前宮で建てオンバシラの準備をしている知人に会いに行ったり、神長官守矢史料館の館長を訪ねたり、本宮参道のオヤジさんの店へビールを飲みに行ったりして歩き続けたため、この日の歩いた距離はナント24㎞!
地下足袋を履く左足のカカトに豆ができてしまいました。

初日は本宮の4本が動きます。
上社(前宮・本宮)でもっとも大きなオンバシラの本一(ほんいち=本宮一之御柱)を曳くのは豊田・玉川地区でして、一番たくさん知り合いがいる地区なのに参加できないこの悔しさ。あーあ、本一を曳く絶好のチャンスだったのに(写真:1、奥に見えるのは八ヶ岳)。

曳行に参加できるのは地区の法被を着ていることや、あらかじめ申し込みをしている氏子に限られているため、知り合いの氏子を探しましたが、マスクをしているので誰が誰だか判らない。
もし見つけたら、訳あって我が家に居候している親戚の叔父さんということにしてもらったのに。

2日目、前宮に建つ4本のオンバシラも曳行開始です。
ボクは諏訪大社四社(前宮・本宮・春宮・秋宮)に建つ16本のオンバシラの中で、前二(マエニ=前宮二之御柱)のロケーションが一番好きなんです。
で、今回は前二を曳くのが湖南・中州地区でして、持ってます。中州地区の中の神宮寺町の法被を。
襟には神宮寺の名前が、そして背中には諏訪大社の社紋も大きく入ってます。
ですがそれでもまだ懸念がありまして、各地区の子綱係の人は子綱を受け取りに来た氏子の名前を聞き、それを名簿で確認しているんです。
ヤバい。申し込みなんてしてないので、名簿に名前がなければ参加を断られるかもしれない。けどダメ元でやってみよう。
あっ、いました。神宮寺の子綱係の人が。
「おはようございまーす。今日はよろしくお願いしまーす。神宮寺の氏子ですが、子綱を2本いただけますでしょうか?」
「おはようございます。いいですよ。はい、どうぞ。」
えっ、こんなすんなりいけちゃったの?
というわけで、一緒に来ていた金丸氏の分も子綱いただき参加が可能になりました。

スタート地点は氏子や警察・消防でごったがえしてまして、曳行も密接密着の密天国でしたが、そうでもなきゃあの大きなオンバシラは動きません。
6~7トンほどのオンバシラ本体と、前後に取り付けた4本のメドテコ。200メートル近くある太くて重い左右の元綱。さらにはメドテコには計30人ほどの氏子が乗り、オンバシラにも乗る氏子も含めると人の重さだけでも4トンぐらいはあるので、総重量はどれだけになることか。

それで気持ちいい五月晴れの中、密を維持した状態で掛け声を合わせ、無事に前宮境内に設けられた所定の位置までオンバシラを曳きつけることができました。
曳きつけを終えてオンバシラに乗る若い氏子衆(写真:2)。美しいオンバシラでしょ。

諏訪のオンバシラは奥山から里へ曳きつけ、境内に建つことで神となるので、建つ前はオンバシラに乗せてもらえるんです。
前二の曳行が終わるとすぐに、米沢・北山・湖東地区が曳く前三がやって来ました。(写真:3)

次は5月14~16日に下社の”里曳き”です。
諏訪大社のオンバシラが終われば各地域の神社でもオンバシラ祭りが始まりまして、小宮オンバシラと呼びますが、さっそく5月29日には壺井八幡さんの”山出し”がおこなわれ、氏子さんから参加の許可もいただきました。
こんな調子で11月まで続きます。