2022 下社”里曳き”

5月14~16日は諏訪大社の下社(春宮・秋宮)でオンバシラ大祭の”里曳き”がおこなわれますが、下社の場合は参加するのにリストバンドが必要になりまして、 氏子でさえも事前申し込みをしていなければリストバンドがもらえず参加ができないんです。
上社(前宮・本宮)の場合は法被だけで何とかなり前二(前宮二之御柱)を曳くことができましたが、あぁ今度こそ本当にマズい。法被・腹かけ・地下足袋の姿で氏子のフリをしても無理だ。あきらめておとなしくしてなければいけません。してます。してようかな。してました。午前中は。
そして2日目の最後にとんでもないことが起きてしまいまして、まさかまさか予想外の展開が!

下社”里曳き”は注連掛け(しめかけ)と呼ばれるオンバシラ置き場から曳行が開始され、いきなり40メートルの坂を落として(写真:1)、オンバシラ街道を春宮へ向かいます。
まずは春一(春宮一之御柱)から順に春宮の4本が曳き出されてから秋宮の4本へと続くんですが、リストバンドがないのでただ見てるだけ。
知り合いがたくさんいる春二(春宮二之御柱)へ行ってみんなに聞いてみてもリストバンドが余ってる人は誰もおらず、退屈なのでブラブラとあちこち歩き回っているうちに秋一(秋宮一之御柱)がスタートしました。曳行するのは岡谷市の川岸地区です。
秋一は下社8本の中で一番太いオンバシラなんですが、今回は歴代でもっとも太いらしく、実際にバカでかい。あーあ、曳きたいなぁ。けど曳けない。だってリストバンドも子綱もないんだから。

写真1

あれ?
秋一の先頭に乗っていたあの人、前回の大祭で川岸地区の大総代をされてた笠原さんの息子さんだ。
前回大総代だった笠原健二さんは数霊シリーズ「諏訪古事記」に笠原次郎右衛門の名前で登場してます。
というわけで休憩中、息子さんに声を掛けてみました。
そしたらなんとリストバンドと子綱の余りがありまして、いただけてしまったんです。リストバンドの色は水色で子綱は緑色。地区によって色が違い、色が違うと他の地区のオンバシラは曳けないんですが、やったー、秋一が曳ける!
諏訪の神と氏子さんに感謝しつつ大喜びで秋一に参加しました。
したんですけど、重すぎて動かない。ぜんぜん進んで行かないんです。曳き子が少なすぎるんじゃないの?
木槍りが鳴かれ、みんなでヨイサッヨイサッの掛け声を合わせても3メートル進んでは止まり、また2メートル進んでは止まる。
これ、本当に春宮へ着けるのか?
けど、諏訪の氏子は恐ろしい。ちゃんと着きました。

秋宮のオンバシラは春宮の境内を抜けて秋宮へ向かいますが、春宮の境内曳き入れでまた坂を落とさなければならず、その手前の細い道路からの90度ターンに1時間近くかかってしまいました。
それにしてもよくターンさせたもんだと思います。諏訪の氏子に不可能はない。
で、坂落としの様子がこれ(写真:2)です。

写真2

2日目は岡谷市の長地(おさち)地区の氏子さんがリストバンドと子綱を用意してくださいました。
リストバンドには日付がありまして、前日のものは無効になってしまうため、本当にありがたかったです。
長地も色は水色。
ということは川岸地区へも長地地区へも参加できるため、まずは川岸地区へ参加させてもらうことにしました。
上社と違い、下社は日によって曳くオンバシラが変わるため、2日目の川岸地区は秋二を担当します。
前を行く秋一は上諏訪町地区が曳いているんですけども重すぎてちっとも進まないので、秋二以降もスタートできません。
ちょうどその時間、春宮境内では長地地区が春二の建てオンバシラをおこなっていたので見に行きたったんですが、秋二が動くのを待つことにしました。
お昼の休憩に春宮へ行くと、すでに春一と春二は建っており(写真:3=春宮一之御柱)、奥山の大木が神となった瞬間です。おめでとうございます。

写真3

午後からは秋二の担当が川岸地区から長地地区へバトンタッチされ、どちらもリストバンドは水色なのでそのまま秋二の曳行に参加してましたが、夕方の5時を過ぎたころのことでした。
オンバシラがいよいよ秋宮正面のゆるい登り坂にさしかかったころ、長い曳き綱の前の方で子綱を曳いていたボクに、長地地区の曳行長?が走り寄り「ちょっとこちらへ来て」って。
ボクが戸惑っていると、「いいから早く子綱を外してこっちへ来い」と。
で、連れて行かれたのはオンバシラの先頭部分。
「乗せてやるから、前に乗れ」
はぁー?
「おい、みんな。この人に乗ってもらうからな。名古屋から来た大事な人だ」
げっ、そんなこと言っていいのか?
いい訳がない。氏子以外の参加は禁止なんだから。
オンバシラの先頭には大きな御幣を持つ御幣持ち(五平もちではないです)が乗り、2人目には御幣持ちを支える人が。
他にも4人ほどの氏子さんが乗っていたのでボクは一番後ろに乗せていただこうとしたら、長地の長老が現れて「そんなところじゃなく前に乗れ」と。
結局、嬉しいやら申し訳ないやら複雑な気持ちのまま前から3人目に乗せていただくことになってしまいました。
木槍りが鳴かれると、こちらのヨイサッヨイサッの掛け声に合わせて1500人ぐらいの氏子さんが綱を曳き、オンバシラは登り坂をグングンと進んで行きます。しかも、この坂は秋宮へ曳き入れる一番の見せどころであり花道です。
観光客やマスコミ各社のカメラが待ちかまえる中、何でボクがオンバシラに乗ってヨイサッヨイサッで大勢の人に引っ張ってもらってるのだろう?
小宮オンバシラならともかく、諏訪大社のオンバシラにはほとんどの氏子さんも乗ったことがないのに、どうしてボクが……………
声を掛けてくださった曳行長?は「諏訪古事記」で長地のことを良く書いてくれたお礼との想いだったようですが、こちらこそ感謝の気持ちでいっぱいです。すごい体験をさせていただきました。
その後、秋宮境内まで曳きつけられた秋二のオンバシラ(写真:4)
これに乗せていただいたんです。

写真4

氏子の皆様、今回もたくさんお世話になりました。
次は小宮オンバシラに伺いますので、よろしくお願いいたします。
まず今月29日は八ヶ岳の麓、壷井八幡神社の”山出し”の予定で、めちゃくちゃ面白い中年軍団にお会いできることを楽しみにしております。