手長神社オンバシラ祭り part 2

18日の山出しは早朝から、小雨・曇り・晴れ・小雨・曇り・晴れの繰り返しで、ついに午後3時ごろにはドシャ降りになってしまいました。なので小降りになるまで近くの軒下へ待避。
道路が濡れるとオンバシラが路面をツルツル滑るので恵みの雨でもあるんですけどね。

そして24日、里曳きの初日です。天気予報では台風の影響で午前中は大雨ですって。またドシャ降りか。
あらかじめカッパを用意し、手袋も地下足袋も防水スプレーでしっかり対策して諏訪へ向かいました。
雨の中の曳行は大変ですけど、濡れた路面をオンバシラが走って楽なので…………あれ?
ピーカンじゃんか。快晴です。日本晴れだぞ。そして暑い!

さーて、秋晴れのもとで曳行開始です。
けど、やっぱりすんなり動きません。重い。
6年前の前回から、諏訪大社や小宮オンバシラにトータルで30日ほど参加してますが、こんなに動かないのは初めてかもしれません。
それでも諏訪の氏子は不可能を可能にしてしまいまして、乗用車でもすれ違いに気を遣うような車幅しかない商店街の交差点で、19メートルのオンバシラを左折させてしまう(写真1)のだから、この人たちどうかしちゃってますよね。

こーんなに長いんですよ(写真2)

5月におこなわれた諏訪大社の下社(春宮・秋宮)里曳きでは、初日に秋宮一之御柱を曳かせてもらい、これが歴代でも最大級の太くて重たいオンバシラだったため、ちっとも動きませんでした。
3メートル進んでは止まり、また2メートル進んでは止まりの繰り返し。
それでも前進していることは間違いないため、初日の終着地まで千数百人の氏子が希望を持ち、息を合わせて春宮の境内まで曳きつけることができました。息を合わせるってスゴいですね。

けど、手長神社は最後に長い階段登りが待ってます。いくら諏訪の氏子でもこの人数での階段登りは無理でしょう。平地だって50センチ進んだだけで止まり、30センチ進んでまた止まるんだから。
なんですが、休憩をはさんでいよいよ最大の難所、階段登りに挑戦です。下から見上げるとこんな感じになります。夜の写真は画像が悪かったので昼間の写真も一緒に(写真3・4)

数えたら192段ありました。

「アラ、ヨイテーコショ」
「ヨイサッ」
「アラ、ヨイテーコショ」
「ヨイサッ」
参加者全員で息を合わせ、渾身の力を振り絞っての階段登りが始まりました。
ひと呼吸で20センチ。いや15センチか。
ほんのわずかでも確実に登っていたオンバシラですが、やがてはビクともしなくなってしまいました。何度も何度も曳き上げるんですが1センチたりとも進まないんです。あぁ絶望的だ。

ですがこうなってくると、普段はおしゃべりしながら元綱に結んだ子綱を持って歩くだけのおばさまも、あるいはちょっと面倒くさそうな態度で子綱を曳いている若いお姉ちゃんたちも必死で曳き始めるんです。
年配のお爺ちゃんお婆ちゃんまでもが出せるだけの力で精一杯曳き始め、それはもう感動的です!
そして、子綱を曳く指がちぎれそうなぐらいに力を込め、およそ300人?350人?が何百回も息を合わせ、約200段の階段を2時間近くかけて曳き上げてしまったんです。
「ヨイサッ」の1回で動くのはほんの数センチ。それでも氏子たちは山の神に感謝しつつ階段を登りきってしまい、やっぱり諏訪の氏子に不可能はありませんでした。
境内へ入ってからもまだまだ大変だったんですが、とにかく無事に境内への曳きつけが完了。皆様、本当にお疲れ様でした。あとは明日の建てオンバシラを残すのみです。

帰り道は疲れすぎててフラフラでした。真っ直ぐに歩くことすらできず、かなりヤバかったです。
ホテルへたどり着く前にどこかで野垂れ死にするといけないので病院へ行きたかったんですが見当たらないため、仕方なく、本当に仕方なく駅前の居酒屋へ寄って薬を出してもらいました。茶色い麦のお薬と無色透明な米のお薬です。
どちらも飲み薬で、茶色いお薬は白く泡立っていたし、無色のは瓶に純米大吟醸なんて書いてあって効果があるのかどうか不安だったので、念のため何度も追加してたくさん飲んでおきました。

もし上諏訪町の手長神社を訪れることがあれば、ぜひ一之御柱をじっくりと見上げてみてください。いえ、一之御柱だけでなく、社殿の奥に建つ三之御柱や四之御柱も。ここに建つまでには多くの苦労があったことを思い浮かべつつ。
それと、数霊シリーズのヱビス開国をお持ちでしたら148ページを開けてみてください。手長神社・足長神社の古き神々の感動的な話が出てきます。

part 3へ続く。