日々是白馬村 part 44

久しぶりに、本当に久しぶりに青鬼(あおに)地区へ行きました。移住してからは初めてですが、それどころかひょっとしたら30年ぶりぐらいになるかもしれず、最後に行ったのがいつなのかは記憶にございません。
青鬼地区は白馬村の中でもっとも人里離れた集落で、アパートからだと10分ぐらい細い山道を登った先にあります。徒歩ではなく車でですよ。
何度か申し上げましたが白馬村は東京都八王子市より少し広いだけでほぼ同じ面積です。小さな小さな狛江市と比べると白馬村は約30倍近くあります。けど狛江市の人口は白馬村の約10倍なので、人口密度は300倍ってことか。
ということは白馬村の村民1人あたりの専有面積に対して狛江市は300人いることになり、何と申しましょうか、にぎやかですね。

それで晴れた朝、モルゲンロートで赤く染まるアルプスの日の出を青鬼地区まで見に行ったんですが、夜明け前に霧が発生して何も見えなくなってしましました。
けどモヤに包まれた青鬼集落は幻想的でもあり、こんな雰囲気でした(写真 1)。

なかなかの雰囲気が漂ってますでしょ。推理小説の舞台になりそうな。
火曜サスペンス劇場の場合だと、タイトルは今ならさしずめ「IT企業のOLが消えた 霧にけむる信濃の隠された集落 スマホに残された謎の数字とは」みたいになるんでしょうけど、そのような事件が起きたとは聞いてません。

ところでカスミ(霞)とモヤ(靄)とキリ(霧)の違いを調べたら、平安時代以降カスミは春の現象をそう呼ぶのだそうで、だからモヤでいいのかと思いきや視界が1㎞以上がモヤで、1㎞未満だとキリですって。
この場合だと視界は数百メートル程度なのでキリですね。
“モヤに包まれた青鬼集落”は正しくないので“キリにけぶる(けむる)青鬼集落”に訂正します。

キリでほとんど何も見えないので一旦はアパートへ帰り、晴れてきた9時ごろ再び訪れました。
これならアルプスが見られるであろうから写真を撮りながら高台へ向かっているとハチが突然「キャイ~ン」と鳴きました。
ウド鈴木さんでも来ているのか?
続けてまたハチがまた「キャイ~ン」と。
天野さんもいるのか?
とふざけてる場合ではなく、ボクがハチの足先を踏んづけてました。きっと急に立ち止まったか方向転換をしたんだろうけど、景色に夢中でハチを見てなかった。
以前、同じような状況でハチを軽く蹴飛ばしてしまったことが3~4回ありましたが今回はそれよりムゴい。ハチ、ごめんね。本当にごめん。

青鬼は小さな集落なので駐車場から3分も歩けば民家が途切れ、アルプスが姿を見せてくれます(写真 2)。

火野正平さんのチャリンコ旅の総集編で、それまで訪れた中の絶景ナンバー1に青鬼地区が選ばれたんですってね。ハチと散歩していたら観光客から「火野正平さんの番組で1番になったのはどこから見た景色ですか?」と聞かれました。犬の散歩をしてたので地元民に見えたのでしょう。
ボクはその回を観てないので判らないんですが、多分ここだと思います(写真 3)。

確かに素晴らしい眺めではあるんですが青鬼地区からの景色は五竜岳を中心に右は唐松岳まで、左は鹿島槍ヶ岳までの範囲しか見られず、白馬三山は森に隠れてしまってるので白馬村からの景色としてはさみしいし、絶景とまでは……………
帰りに駐車場でその観光客とまたお会いしたので野平(のだいら)地区と松川大橋へ案内したら、夫婦そろってその景観に絶叫してました。絶叫する景観なので絶景に間違いなし。

昨年と比べて今年のモルゲンロートは赤く染まる色が薄いように感じますが、その理由を誰に聞いても納得する答えは返ってこず、今のところ不明です。
青鬼へ行った翌日の朝もアパート近辺はキリに包まれていたので松川沿いを2㎞上流へ向かったら、晴れてはいたんですが染まりきらないモルゲンロートの白馬三山でした(写真 4)。

この時期になると毎年のことですが、夕暮れどきは何かしら物悲しさを感じてしまいます。子供のころからそうでした。
そういえば20年ほど前、「晩秋の夕暮れどきの物悲しさを考える会」の会長をしてたんでした。会員は3人でしたけど。
それで白馬村へ来てからもその感覚は変わらず、夕暮れが近づくアルプスを見ていると物悲しく人恋しくもなってきます。この(写真の)時間はまだ太陽が高いんですが、あと30分もすればそれが始まることでしょう(写真 5)。

けど不思議や不思議。年が明けて初春とか新春との声が聞かれるようになった途端、夕暮れどきの物悲しさが消えてしまうのはナゼでしょう。お正月の夕暮れなんてちっとも物悲しくなんてないもん。あの物悲しさは晩秋に限った感覚なのかもしれない。

数霊シリーズ「天地大神祭(あめつちだいしんさい)」の著者紹介を確認したら他にも「夏の夕暮れどきは駅前商店街でビールを飲む会」だとか「名古屋名物“あんかけスパゲティ”を全国に広める会」だとか「“♪ふるさと”を国民の歌にする会」などの会長をしていると書いてありました。アホなことばかりしてたんですね。今でもですけど。
「全国チャイ普及協会」ではロイヤルミルクティもいいけどチャイも飲め、みたいなことを訴えてまして、当時はロッテリアがチャイを販売してくれたんですが知らない間に消えてましたし、普及教会も普及しませんでした。そんなこと最初から判ってますけど。

今後は「山で出会った熊と仲良くなる方法を考える会」を主催してみたいと思ってます。問題は、その方法を試す勇気があるかどうかですが、多分ムリでしょう。
その前に誰も相手してくれないでしょうし。