カテゴリー別アーカイブ: 弥栄古代史研究室

「諏訪古事記 その20」

小谷村でお世話になった小谷温泉の山田旅館は、昔から薙鎌神事の前日に諏訪大社の宮司や薙鎌作りの職人さんたちが宿泊するため、貴重な資料がたくさん残されています。
夕食後、無理をお願いして大女将にお話を伺い、古い書類や歴代の諏訪大社宮司の色紙なども見せていただき、話の途中で”オタリ”の名前はアイヌ語っぽいですねと問いかけたところ、
「先々代(19代目の主人のこと。現在は21代目)が小谷村の”オタリ”はアイヌ語だゆうとりました」
とおっしゃり、やっぱりな。
ただ残念なことに、オタリがアイヌ語だという証拠になるものは何も無いとのことでした。
☆写真1:木造3階建の風情ある山田旅館。帰りに大女将からお土産までいただいてしまい、お世話になりました。

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「諏訪古事記 番外編その13」

武田信玄は戦いに挑む際に「南無諏方南宮法性上下大明神」の御旗を掲げていました。”諏方”とは”諏訪”のことで、武田信玄と諏訪地域は切っても切れない関係にあります。
それで、信玄の跡取りで諏訪氏の血を持つ勝頼を調べていると勝頼の母、つまり信玄の妻である諏訪御料人が療養していたとされる岡谷市湊(みなと)の龍光山観音院へと行き着きました。
この龍光山観音院の十一面観音は春と秋、お彼岸の朝のわずかな時間に空からと諏訪湖に反射したふたつの太陽に照らされるんです。
しかもそれが発見されたのはわずか9年前のこと。現在の中島住職が朝のお務め中、十一面観音に陽が当たって突然輝いたとのこと。日本のアブシンベル神殿だ。

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「諏訪古事記 その19」

まずは小谷村役場では連日お世話になりまして、ありがとうございました。
薙鎌神事は諏訪大社から宮司が小谷村まで出向き、6年おきの御柱祭り前年に新潟県との県境にある社でおこないます。
薙鎌を御神木に打ち付けるのは小谷村戸土(とど)の「境の宮諏訪神社」と小谷村中股の「小倉明神社」の2社があり、毎回交代でおこなうためにそれぞれの社にとっては12年に1度の行事になります。
それでその社、両社ともとんでもない山奥にあるため役場の柴田さんから詳しく聞いておいてよかったです。役場へ寄らなければ絶対にたどり着けませんでしたし、小倉明神社に至っては一般車輌進入禁止なんですけど看板に気づかなかったことにして…………

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「諏訪古事記 その18」

ヌナカワヒメを探りに新潟県の糸魚川へ行ってきました。
糸魚川のヒスイは出雲や九州でも見つかっているので古くから全国各地と交易があったのかと思いきや、縄文時代の後期中葉(約4000年前ぐらい)までは東北~中部の東日本だけが流通域で、まだ出雲や九州など西日本へは行ってなかったんですね。
文化の中心が西日本に移るのは弥生時代からで、縄文時代は遺跡の数だと圧倒的に東日本のほうが多いですし、話題性のある魅力的な縄文土器はすべて東日本で出土しているので、”縄文の東日本、弥生の西日本”はヒスイの流通からも知ることができました。
そんな糸魚川からある時代になるとヒスイ製品も職人集団も突然消えてしまったんです。
ヤマト朝廷の仕業かっ!

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「諏訪古事記 その17」

「遷都信濃国」で何度も取り上げましたが、なぜ諏訪は信濃国から独立させられたのでしょうか?
それは天武天皇の意志を継いだ長屋王の思惑によるものだったか?
また、諏訪を好意的に保護しつつ律令制の整備が目的での諏訪国独立か、それとも朝廷に従わない”まつろわぬ者ども”を敵対視して隔離するためなのか。理由がどちらなのかによって導き出される答えが正反対になります。

長屋王が即位していたか否かは別として、実権を握っていたのが721年1月~729年2月まで。2月12日に自害したことになっています。実際は妻子4人と一緒に殺害されたのでしょうけども。

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「諏訪古事記 その16」

アイヌとオタリ村(長野県北安曇郡小谷村)が結びつき、他にも調べなければならないことがあるため久しぶりに白馬村・小谷村方面へ行ってきます。
そして今回は県境を越えて翡翠の産地新潟県の糸魚川へも。タケミナカタの母であるヌナカワヒメのお里ですが、翡翠を産出する姫川の古名は”ヌナ川”といい、だとするとタケミナカタの母がヌナカワヒメなのではなく、タケミナカタの生まれた地がヌナ川(糸魚川)近辺なのかもしれないですね。

すると出雲はどうなるんだと疑問がわきますが、諏訪入りしたアイヌ人は日本海側から来たとも考えられるため、当然のこと日本海側には他の地域にもアイヌ人が暮らしていたとしても不思議ではありません。

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「諏訪古事記 その15」

岡谷市川岸地区のルパン三世大総代からいただいた資料の表紙にはナゼか”マル秘”マークがあり、ページをめくると川岸の熊野神社について書かれていました。
この熊野神社は10月の御柱祭りで里曳きと建て御柱に参加させていただく予定ですが、マル秘資料によると
「熊野神社の所在地はアイヌ人の遺跡である。この遺跡は太古、天龍川岸の時代にアイヌ人の漁場であった事が出土品から証明されている…………」
えっ、アイヌ人ですって?
天龍川岸の時代という表現がいまひとつ捉えにくいところですが、この地域は諏訪湖から天竜川が流れ出たほんの1㎞あたりの地区でして、多くの人々が川沿いに寄り添って暮らしていた時代のことでしょうか?
とにかく、資料をそのまま信ずるならばここにもアイヌ人が来ていたわけで…………

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「諏訪古事記 番外編その12」

諏訪なるは
この龍体のヘソなるを
知りておるかや人々よ
メビウスの
輪の交点に位置するは
“ス”と”ワ”なりしを知りおろう
“ス”から巡りて”ワ”で閉じる
オンバシラを交点に建て
それを巡る人々よ
「8」の字巡りをされしとき
真なる世界 巡り来る

神ゴトを避けて逃げて隠れて無視してきましたけども、とうとう次なるものが来てしまいました。
“この龍体”とは日本列島のことでしょうか?
とにかく、地面に麻紐でメビウスの輪を作ってその交点にオンバシラを建てよとのことですが、オンバシラは細くてもいいようで、ちょうど長野県で栽培された麻の茎をいただいたのでそれを建てることにします。

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「諏訪古事記 その14」

今回のテーマは薙鎌です。”なぎがま”と読みます。
諏訪では御柱大祭におけるいくつかの神事で薙鎌を使いますが、薙鎌は一般的に風を鎮めるための道具でして、諏訪以外でもその風習は残っています。
諏訪の場合、秋の台風シーズンになると薙鎌を木の棒に打ち付けて屋根の一角に立てたり、風の強い日には竿の先に結び付けて軒先に立てたりしました。
法隆寺の五重塔にもてっぺん近く(九輪と呼びます)に4本のカマが打ち付けてあり、それも風鎮めのためだとか。
ですが諏訪においての薙鎌は風鎮めのためだけの道具ではありませんで、それがあまりにも謎なので茅野市の薙鎌職人さんを訪ねました。信州鋸(のこぎり)の職人さんなんですが、諏訪地方では2人しか残っておらず、迷惑を承知で工房へ押し掛けまして……………

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「諏訪古事記 番外編その11」

静岡県御前崎市の”桜ヶ池”では、お米を詰めたお櫃(ひつ)を池底の龍神にお供えするお櫃神事で、池に沈めたお櫃が諏訪湖に浮かび上がるという言い伝えが残されています。
また、真意はどうあれ静岡県浜松市の岩水寺裏手の洞窟も諏訪に通じていると、文献に残されているそうです。

逆に、諏訪大社の摂社で茅野市にある葛井(くずい)神社では、大晦日におこなう神事で神社の裏にある清池に投げ入れた弊帛(へいはく)・榊や柳の枝・柏の葉が翌朝には遠江(静岡県西部)の”さなぎ池”に浮かぶとの伝承が残されています。ただし、その”さなぎ池”がどこにあるかは判っていません。

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