「遷都信濃国 vol.17」

古代史では個人の想いや行動を推測する際、ひとくちに”あの人は百済系だから”とか”彼は蘇我の血筋だから”とか”南朝に近い立場だから”では片付けられない問題があります。
それは現代でも同じで、自民党vs民主党においても自民党の議員全員が同じ意見とは限らず、中には民主党寄りの意見を持った人もいるでしょう。
また、日本vs韓国や日本vs中国の対立にしても、問題点が何であれ双方に賛成派もいれば反対派もいるはずです。

古代史をひもとく場合についつい陥りがちなのが、あの天皇(大王)は百済系だとか蘇我氏の血筋だとか、あるいはあの神は天つ神系だとか出雲系だとかで振り分けてしまうことです。
今までどれほどそんなあやまちを繰り返してきたことか、数え上げたらキリがありません。
しかし、そういった表面的な立場をいっさい無視してしまうと、今度はなにも推測できなくなってしまい、そのような状況を個人的には「古代史の憂鬱」と呼んでます。

スサノヲ、ニギハヤヒ、ヤマトタケル、ククリヒメ、セオリツヒメ、タケミナカタ…………数霊シリーズで幾度も取り上げてきましたが、都合が悪い資料はあまり取り上げなかったからこそ書けたわけで、残されているすべての資料に矛盾なく描くのは不可能です。
天智、天武、持統、鎌足、不比等…………これらの人物は神々の時代よりも400年~500年新しい時代なので(………うっ、逆に考えればたった500年古い時代で神々なんだから、1万年前の縄文人や20万年前の旧石器人はどうなるのでしょう。神武のわずか5代前がアマテラスで、神武の即位が紀元前660年。今からたったの2675年前のこと。その5代前のアマテラスが肉体を持っておらずお空かどこかに暮らす神様で、孫のニニギあたりから肉体が発生したのだとすると、憂鬱すぎて気絶しそうになる。天孫降臨ってなんなのさ。しかも、神武即位は紀元前のことではなく、おそらくは西暦241年前後であろうから、まだ1800年も経っていない。とすると、神々よりも縄文人や石器人の方がずーっとずーっと古い。ますます憂鬱になってきた………)残された資料は豊富ですが、内容の信憑性に問題があります。大問題です。
その時々の支配者が自らを正当化するために、ことごとく歴史を書き換え、作り話を挿入しているのですから。しかも稚拙な内容の。あぁ、憂鬱。

古代人の最大の失敗は、古墳の埋葬者が誰であるかを残さなかったこと。
文字なり行動なり特徴なりを標してくれていれば、のちを生きる者がこんなに混乱しなかったでしょうに。
古代人にグチるなって?
ならば民間の研究者に古墳の発掘調査をさせたまえ、宮内庁。

さて、天智を百済系として、そして鎌足は百済王の血筋として百済人そのもの(あるいは唐のカクムソウとも言われていますが)と考えてきましたが、実は百済が2系統あるようで、憂鬱もピークに達してまいりました。
詳しい説明は避けますが、漢江流域のオンヂョ百済と錦江流域のピリュ百済です。
そして、半島から先に日本へ渡ってきた百済人は、どうやらピリュ百済人の可能性が高いとのことらしいんです。
ピリュとオンヂョは人の名前で兄弟とされていますが、そこのところはどうでしょう。
日本にも神武東征の話に宇陀のエウカシ・オトウカシや磯城のエシキ・オトシキが出てきますが、兄弟ではないでしょうから。

それに、ピリュとオンヂョが仮に兄弟だとしても、両国がいつまでも仲むつまじくいられるかは疑問でして、そうなると海を渡って日本にやって来た百済人でも先に来たピリュ百済人と後から来たオンヂョ百済人が覇権を争ったかもしれません。
なので同じ百済人あるいは百済系であっても、一緒くたに考えないほうがいいってことです。
争いは近い者同士ほど激しくなり、その最たるところが身内の争いですし、海外に目を向ければイスラム教のシーア派vsスンニ派がいい例です。
「汝、隣人を愛せよ」とはよく言ったもので、さすがキリスト。

新羅系の天武、百済系の天智と単純に考えてはいけないかもしれないというお話しをするつもりでしたが、そろそろ余も老けてまいりました。大きなお世話だ。
そろそろ夜も更けてまいりましたので、続きはまた。