「遷都信濃国 vol.18」

歴代の天皇で、確実に血筋が入れ替わっているのが、
☆伽耶(加羅)の出身で本当は初代であろう第10代崇神。(初代であるならば血筋が入れ替わったのではなく、血筋の始まりと言うべきですが)
☆(日本列島へ先に渡来した百済の)ピリュ百済人らしき第15代応神。
☆(あとから渡来した百済の)オンヂョ百済人かもしれない第26代継体。
と考えられていて、応神にしても継体にしてもナゼか敦賀(福井県)がひとつの鍵になっているようです。
これは北部九州に上陸していた勢力(血筋)に対し、ずっと東の敦賀あたりから上陸した血筋があったことを示唆しているのでしょうか。
たしかに若狭湾は韓半島からの渡来人が上陸するには適した入り江が続いており、特に若狭湾の東端にあたる敦賀湾は絶好の地形ですので。

継体は父が近江で母が敦賀の出身ということになっていますが、父は墓も判っておらず、母は巫女の設定になっていて実態は謎だらけです。
しかも継体の死亡年齢は「古事記」が43歳なのに対し、「日本書紀」では82歳でして、何じゃそれ。

しかし、継体の後継者はすべて親百済路線であることや、即位した大阪の枚方あたりは百済人の本拠地なので、本人も百済人であると推測されます。
継体の前の第25代武烈大君が恐ろしく残忍な悪人として描かれているのは、継体の血筋が即位したことを正当化するためであり、百済人であっても継体は武烈までの百済とは別系列であることをアピールしたいのでしょうか。

余談ですが、天皇の呼称は第40代の天武からでして、それ以前は大王(オオキミ)とされています。
ですが、どうやらそれも第15代応神からがオオキミで、第10代(本当は初代)崇神~応神以前まではスメロギなのだと「日本=百済説」の著者金容雲(キムヨンウン)氏は指摘されています。
そして、オオキミは「大王」と書くのではなく「大君」だと。それ、嬉しいです。
実はオオキミを「大王」とかくのが昔からずーっとイヤでして、たしか「日之本開闢」ではオオキミを「大君」で統一しました。
「天武と持統」の著者イヨンヒさんもオオキミを「大君」にされています。
また、宮廷歌人の柿本歌麻呂も「大君」としているため、気分がいいのでボクも今後はそれに倣って「大君」にします。

話を戻して、4月26日~28日まで福井県へ数霊セミナーと整体の仕事で行っていたので、つでに継体大君を調べる予定だったのですが、ナゼかそれが原子力発電所の偵察になってしまいました。
美浜原発へ渡るため、原発手前の橋を強行突破しようとしたら警備が厳重だったために断念し、橋の脇にある美浜原子力PRセンターへ寄ったら、スタッフは親切だし身体の放射線量が測れたりしてけっこう楽しかった。あれ、楽しんでる場合じゃない。

これではイカンと思い直し、次はあの悪名高き高速増殖炉「もんじゅ」へ向かいました。
「もんじゅ」の年間維持費は200億円。1日あたり5500万円が必要で、今までに1兆円以上をつぎ込んでいますが、いまだに実用化のメドは立っていません。
しかし「もんじゅ」は警備がさらに厳重でまったく近づけない。
30メートル先からこちらをにらんでる警備員なんて、あと1メートルでも侵入しようもんならロケットランチャーをぶっぱなしてきそうだし、そのときに乗せてもらってた車が黒のメルセデスなのでよけいに警戒されていたのでしょうか。
けど、総務課に申し込めば見学できることを知り、なんだ、見学できるんじゃん。
次はちゃんと許可をもらってから行きます。許可がおりればの話ですが。

というわけで、継体大君については調べる時間がありませんでしたが、地元の福井県では九頭竜川の水流を治めた大君として語り継がれていました。

原発探検の前に敦賀の気比神宮には寄ることができたので、摂社の角鹿(つぬが)神社へ参拝しました。
御祭神のツヌガアラシトはこれまた謎の人物で、「敦賀(ツルガ)」の名前はツヌガアラシトから始まるとされていますが、長くなるので説明は省きます。
関裕二氏によるとツヌガアラシトとアメノヒボコは同一人物らしいです。
「古事記」ではアメノヒボコの末裔の葛城高額比売(カズラキノタカヌカノヒメ)が神功皇后の母ということになっていて、神功皇后や応神大君も敦賀の地と関わりが深いため、次に福井へ行ったら原発へ遊びに行くのは控えて古代史をちゃんと調べてみます。あんまり自信ないけど。