「諏訪古事記 番外編その4」

若かりしころから慢性的な「長野県中毒症(半年以上長野県内へ行かないと激しい禁断症状に苦しむ病気)」が続く上に、最近はウイルス性の「御柱(おんばしら)バカ」という病いを患っているため、神戸・奈良・富山・福井の仕事を無理やり一週間に詰め込み、翌日の早朝から諏訪へ。
今回泊まるホテルは茅野駅前にして、駅周辺の居酒屋で地元の氏子さんを探してみることにします。

けどその前に、ここのところ車の中で聴きっぱなしのCDがあり、「氏子の御柱」というタイトルで、”氏子の御柱制作委員会”から出ています。
曲は
“氏子の御柱~上社編~”
“氏子の御柱~下社編~”
“御柱”
の3曲で、クレジット・タイトルには歌っているのが葦木美咲…………えっ、美咲さんなの!

実は2009年7月17日の「守屋山山頂イスラエル13部族神事」で、集合場所へ美咲さんたちが逢いに来てくださってて、そのとき他のCDをいただきました。
それで制作委員会に連絡したところ、電話に出られた男性もお会いしたことがありまして、しかも縄文時代と御柱祭が結びつくような研究を続けていらっしゃるとのこと。諏訪でお会いする約束をしました。

そして諏訪。
男性は八ヶ岳山麓の縄文遺跡にかなり詳しく、御柱についてたくさんのヒントをいただきました。
また、忘れていた縄文意識を思い出させてもらい、ちょっと面白いことになりそうです。
美咲さんはかなり広範囲にわたって活動されているため、諏訪市や茅野市の博物館や資料館に無料で入れてしまうスペシャル美咲名刺をいただきまして、ぜひ活用させてもらいます。
※写真1はサイン入りのCDジャケット。

夜、茅野駅前のホテルにチェックインし、一人でも入りやすそうなカウンターのある居酒屋を探しました。
それで選んだ店はマスターが格闘家の角田さんそっくりで、マジで角田さん本人か身内だと思いました。
そしてそして、カウンターの隣で飲んでる若い男性二人は御柱祭に参加する氏子さんたちで、そのうち一人は前回の御柱祭でメドテコの上から二番目に乗っていたそうです。
メドテコとは御柱の前後に射し込んだV字の柱(上社のみ。下社は御柱にメドテコを射さない)で、それに登って音頭をとる人たちは祭の華です。
ということは、DVDにも映っているはずなので探してみます。
そもそも諏訪の御柱祭といえども上社(前宮・本宮)の場合、御柱を曳く約20㎞のうちほとんどが行政区としては茅野市ですので、茅野駅前に狙いをつけて正解でした。
※写真2の御柱は居酒屋の彼らが建てた前宮の御柱。

彼らによると、少なくとも彼らの町内の氏子さんたちは御柱祭に対してものすごく真剣で、御柱を曳く前にお酒を飲むこともなければ、髪型なども神の祭にふさわしい風ぼうで挑むとのことでした。
元旦から毎日続く早朝願掛け参りは、八本の中で一番太くて長いホンイチ(本宮一之御柱の通称)を狙ってのことですが、たとえ与えられた御柱が細くて短いマエヨン(前宮四之御柱のこと)であっても、諏訪の氏子の誇りを持ってベストを尽くすのだと話してくれました。素晴らしい。
実は彼らが建てた写真2の御柱は前宮四之御柱です。

明け方、ユメをみました。
普段から眠りの質がよろしくないためユメは毎日みますが、いつもは変テコリンなユメや妙チクリンなユメばかり。
けど茅野のホテルで明け方にみたユメは、大きな蛇が御柱にグルグルと巻きつきながら天へと昇って行くユメでした。
御柱のことばかり考えてるからなのかもしれませんが、御柱には蛇が天へ昇ったり天から降りてくるためのハタラキも込められているのでしょうか。
昨日お会いした八ヶ岳山麓氏にユメの話をメールしたところ、縄文・御柱・蛇をつなぐ答えが茅野市の中ッ原(なかっぱら)遺跡にあるとのことで、すぐに行ってみました。
中ッ原遺跡は2000年8月23日に土偶「仮面の女神」が発見された遺跡です。
そういえば中ッ原遺跡で仮面の女神を最初に発見した女性も、発見する前の晩、玉虫色に輝く宝箱を見つけたユメをみたそうです。

縄文と御柱と蛇………来週か再来週にでも茅野市の尖石縄文考古館へ行って聞いてみます。毎月行ってるけど。
あっ、スペシャル美咲名刺を見せれば無料で入れるんだ。
※写真3は中ッ原遺跡に復元されていた八本の柱。

2015/11/ 3 16:43

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2015/11/ 3  8:24

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2015/11/ 3  9:21

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