日々是白馬村 part 40

ヤマボウシの実が熟したころを狙って採りに行ったら、目星をつけていた木はすでにスッカラカンでした。誰かが採ったのか鳥がついばんだのか地面に落ちて土に還ったのか?
けど白馬駅のロータリーにも2本あり、そこは手付かずだったのでいただいてきました(写真 1)。

ヤマボウシの実は食感も味もマンゴーっぽいんですけど種が多すぎてあまり生食には向きませんね。
何だか満たされないので農協へ行き食用ホオズキを買ったんですが、美味しすぎて3分で食べ尽くしました。甘くて梨のような味がして、これはバケツ一杯ぐらい欲しい。

9月27日は2014年の木曽御嶽山大噴火から丸10年になりました。
死者・不明者63名は戦後最悪の火山災害で、噴火から2~3日後ぐらいに開田高原へ行き、自衛隊による救出作業を離れたところから見守っていたことを思い出しました。

もう過ぎましたけど9月14日は1984年の木曽御嶽山大地震からちょうど40年でした。山の斜面が大きく崩れて家々を押し流し、死者・不明者は29人。崩れた斜面は今でも確認できます。

10月28日は1979年に木曽御嶽山が有史以来初めて噴火して45年になります。
有史というのは文献的史料が存在している範囲の話であって、大昔から木曽御嶽山は噴火してました。
岐阜県側の小坂(おさか)町にある巌立(がんだて)公園には、大昔の噴火で流れ出た溶岩が冷えて固まり、巨大な壁を築いています。
地元に暮らす上野銀松さんらが名古屋大学に調査を依頼したところ、今から5万4029年前の噴火であることが判明しました。
えっ、なんでそんな細かな数字まで判るのかって?
上野銀松さんから5万4000年前の噴火だと聞いたのが今から29年前のことですから。
あれっ、ひょっとしたら30年前だったかもしれません。

11月22日は白馬村やお隣り小谷(おたり)村を震度6弱の地震が襲って丸10年が経ちます。木曽御嶽山の大噴火と同じ2014年のことでした。
白馬村は震度5強になってますが、それは地震計が設置された周辺のことであって、堀ノ内地区は軒並み家屋が倒壊してるし、大出(おおいで)地区も家屋の倒壊や道路が隆起して50㎝ほどの段差ができたので震度5強ではないでしょう。
倒壊した家屋の旦那さんも「うちは震度7だったぞ」って。

こうしてみると長野県は秋に大きな自然災害に見まわれてますね。
各地で火山が噴火しそうな兆しや頻発する地震などから考えて、フォッサマグナの西端にあたる糸魚川-静岡構造線もまた動くかもしれません。白馬村は糸魚川-静岡構造線に含まれる複数の活断層上に広がっている村なので、明日は我が身のつもりで日々を送っています。

災害関連の話が長くなってしまいましたが、今回は道祖神についての予定でした。
道祖神といえばまずは安曇野市で、街道沿には色鮮やかな道祖神が随所に見られます。
もちろん大町市や白馬村でも見かけることができまして、先週も明治~大正時代に活躍した猟師についての調べ事をするため大町市へ行き、山あいの静かな村を走っていたら素敵な双体道祖神に出会えました(写真 2)。

道祖神は一般的に、村の境や峠などで悪霊を防いで旅人を守護する神とされ、塞(さい)の神とも呼ばれます。
島崎藤村は道祖神の研究において「エビスの神」と同神に考えていたようであり、もしそうだとすると佐賀では数多く見られるエビスさんと信濃の道祖神はルーツに共通性があったり、あるいは出どころが同じなのかもしれないですね。

白馬村に道祖神がどれだけ祀られているかは調べてませんが、ハチの散歩でこの道祖神とはよくお会いします(写真 3)。

背後の白馬三山が霞んでほとんど見えなかったので写真は別の日にしようかと思っていたところ、大糸線の2輌編成がのんびり通過したのでパチリ。
平和のありがたさをかみしめる一瞬でした。