わーいわーい、名古屋は暖かいぞ。毎日とっても暖かいんだぞ。
8月3日は名古屋もついに40度を超えたんですけど、いっそのこと41、2度以上になって最高気温を塗り替えればいいのに。
諏訪大社の下社(春宮・秋宮)では半年に一度、鎮座する神々が社を移る遷座祭がおこなわれます。
夏の遷座祭は8月1日に神々が春宮から秋宮へ移るんですが、夏は同時にお舟祭りとして華やかな遷座で賑わいます。
※ 定員に達したため、締め切りになりました。
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白山ツアーの詳細が決まりました。主催者さんの案内をそのまま掲載いたします。
※ご注意:申し込みは数霊屋総本家ではありませんのでよろしくお願いいたします。
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数霊シリーズ 著者 深田剛史さんと行く秋の白山周遊ツアー 第二弾
紅葉がまばゆい10月20日(土)~21日(日)の2日間で、白山をぐるりと時計回りに1周するバスツアーの第2弾です。
行き先は初日が岐阜県奥美濃、白鳥(しろとり)の長滝白山神社と白山文化博物館、そして石徹白(いとしろ)の白山中居(ちゅうきょ)神社になります。
数霊シリーズでは中居神社が毎回のように出てまいりますが、白山(しらやま)のもっとも古き神々はここに封じられています。
9月8日(土)~9日(日)に信州信濃の飯綱高原でスペシャルなイベントが開催されます。
飯綱は戸隠のすぐお隣りで、戸隠は数霊シリーズの「臨界点」や「時空間日和」などにも登場してるのでご存知かと思いますが、飯綱もステキなエリアです。
今回は音魂の小嶋さちほさんともご一緒で、数霊&音魂コンビが久々に復活します。
他にも素晴らしいプログラムが組まれているようなので、主催者さんの案内をご覧ください。
☆申し込み先は数霊屋総本家ではありませんのでご注意ください。
詳細および申し込み先
https://ameblo.jp/imakokowatashi-arigatou/entry-12391277391.html
紅葉がまばゆい10月20日(土)~21日(日)の2日間で、白山をぐるりと時計回りに1周するバスツアーの第2弾です。
行き先は初日が岐阜県奥美濃、白鳥(しろとり)の長滝白山神社と白山文化博物館、そして石徹白(いとしろ)の白山中居(ちゅうきょ)神社になります。
数霊シリーズでは中居神社が毎回のように出てまいりますが、白山(しらやま)のもっとも古き神々はここに封じられています。
ちなみにボクは約1000年前の修行僧?時代、あまりにも不真面目なために破門にされたのがここ中居神社でして………………詳しくは数霊シリーズの「臨界点」に書きましたので省略します。
part9でお話しした万葉集の歌についていくつかの質問が来てますので、その関連話題をいくつかお話しします。
皆さん、万葉集に興味をお持ちなんですね。ボクは才能がないので歌がさっぱり理解できません。
さて、香久山・耳梨(耳成)山・畝傍山をそれぞれ天智天皇・天武天皇・額田王(ぬかたのおおきみ)の三角関係に例えてうたった歌は、万葉集の巻一の13番歌です。
「香久山は 畝火雄々(をを)しと 耳梨と 相争いひき 神代より 斯(か)くにあるらし 古昔(いにしえ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 嬬(つま)を あらそふらしき」
んー、解説してもらわないと、未だによく理解できない。
part9の続きです。
新羅の武烈王になった金春秋は、若かりしころ蹴鞠をしていて金ユシンの妹の文姫(ぶんき)と出会いました。まぁ作り話ですけど、歴史上はそういうことになってます。
そして金春秋と文姫の間にはやがて新羅の文武王(ぶんぶおう)なる法敏が生まれるんですが………………
蹴鞠をしていて金春秋の衣装の紐が切れたとき、なぜ姉の宝姫(ほうき)は金春秋の前に姿を現さなかったのでしょう。
それは宝姫がそのときすでに妊娠していたからと推測されまして、金春秋と文姫の子になっている法敏は実は姉の宝姫が生んだ子のようなんです。なので父親は金春秋ではありません。
日本書紀では中大兄皇子(のちの天智天皇)と中臣(藤原)鎌足との出会いが、中大兄皇子が蹴鞠をしていたら靴が飛んでいってしまい、それを鎌足が拾って中大兄皇子に履かせてあげたことがきっかけだったんだとさ。
まぁこの話は100%フィクションなんですが、中大兄は皇太子ということになっているので、蹴鞠をしている場へ近付くことができた鎌足はフツーの農民ではないですよね。
この創作話、実は新羅にも同じようなものがあるんです。
天智・天武と同じ時代のこと、新羅に武烈王の金春秋という武将がいました。
彼は新羅の高官であった金ユシンと蹴鞠をしていたところ、金ユシンが金春秋の衣装を踏みつけてしまい、衣装の紐が切れてしまったんです。
数霊シリーズ第8弾の「諏訪古事記」にも書きましたが、天武天皇は日本書紀によると天武15年に亡くなっていることになっていますが、おそらく天武11年に天皇の立場を追われて逃げたか、あるいは殺されているはずです。
天武15年は”朱鳥(あかみとり)”という元号になっていますが、判りにくいので天武15年のままでいきますね。
日本書紀の天武期を読むと壬申の乱以外はあまり面白くなく、それが天武11年まで続くんです。
ところが天武11年の途中から、”あんた、どないしたねん”と思うほど内容が変わりまして、つまり天武天皇から他の誰かに入れ替わったことを日本書紀の編者は伝えてくれているんですね。
この話題、興味本位だけで話すのは不謹慎なのですぐには出せませんでしたが、数霊話題を少々。
2018年6月3日、グアテマラにあるフエゴ火山が大噴火して、麓にあるエル・ロデオの町で大きな被害が出てしまいました。
6月3日といえば、1991年の6月3日に雲仙普賢岳が噴火し、発生した火砕流により42名が亡くなっています。
数霊で”火山”は
カ=6、ザ=56、ン=1
なので、合計「63」になります。
2014年に噴火した木曽御嶽山の死者・不明者の数は63名です。
これをどう解釈すればいいのでしょう?