古代史では個人の想いや行動を推測する際、ひとくちに”あの人は百済系だから”とか”彼は蘇我の血筋だから”とか”南朝に近い立場だから”では片付けられない問題があります。
それは現代でも同じで、自民党vs民主党においても自民党の議員全員が同じ意見とは限らず、中には民主党寄りの意見を持った人もいるでしょう。
また、日本vs韓国や日本vs中国の対立にしても、問題点が何であれ双方に賛成派もいれば反対派もいるはずです。
古代史をひもとく場合についつい陥りがちなのが、あの天皇(大王)は百済系だとか蘇我氏の血筋だとか、あるいはあの神は天つ神系だとか出雲系だとかで振り分けてしまうことです。
今までどれほどそんなあやまちを繰り返してきたことか、数え上げたらキリがありません。
しかし、そういった表面的な立場をいっさい無視してしまうと、今度はなにも推測できなくなってしまい、そのような状況を個人的には「古代史の憂鬱」と呼んでます。