7月17日 part2

(サダム・フセインが見事にアメリカとクウェートに騙されて)1991年1月17日、多国籍軍がイラクへの攻撃を開始して湾岸戦争が始まりました。
そして2月24日、地上戦へ突入してバグダッドは多国籍軍の手に落ちましたが、中東に平和が訪れるどころか、さらなる悲劇が繰り返され………

湾岸戦争の後には中東情勢に大きな変化があり、いよいよ中東に平和が訪れるのかと世界中が期待しました。
1993年9月13日、なんとなんとPLOのあのヤセル・アラファト議長とイスラエルのイハツク・ラビン首相が、アメリカのキャンプデイビッドでビル・クリントン大統領立ち会いのもと、共同宣言に調印したんです。

個人的なことですが、PLOとイスラエルの調印があまりにも嬉しかったため、アラファト議長とラビン首相が握手した写真を新聞から切り取り、額に入れて飾っていた日本人は、多分ボクだけだと思う。

中日ドラゴンズの落合博満元監督の顔を見ると、アラファト議長を思い出すのはボクだけでしょうか?

しかし、またもや残念でなりません。
アラブを代表するPLOと共同宣言に調印したラビン首相が、1995年11月4日に暗殺されてしまいました。
ボクにとっては日本の首相が暗殺されるよりよっぽどショックでしたが、不幸中の幸いだったのは犯人がイスラエル人だったということ。

ラビン首相暗殺のニュースを聞いた瞬間、もしイスラム原理主義組織の犯行だとすると、間違いなく第5次中東戦争が勃発するため、イスラエル大使館に電話をしようかと思ったほどです。
「お気持ちはお察ししますが、どうか思い留まっていただきたい」って。
なのでイスラエル人の犯行だって聞いて、どれほど安心したことか。

そう考えるとイスラエルの入国・出国時に、これほどまで中東の平和を願うボクを、スパイ容疑で逮捕しようとした公安の連中の対応は無礼極まりない。けしからん。

さて、1991年8月19日にソビエト連邦のヤナーエフ副大統領、クリュチコフKGB議長、プーゴ内相、ヤゾフ国防相ら8人が、クリミア半島の別荘にいたゴルバチョフ大統領を監禁してクーデターを企てました。
しかし3日で失敗し、ソビエト連邦は15カ国に分裂したのです。
ゴルバチョフ。フルネームではミハイル・セルゲイビッチ・ゴルバチョフと申しまして、クリミア半島にいたんです。そう、ウクライナから勝手に独立してロシアに編入されたクリミアです。

ロシアとウクライナはクリミア半島を奪い合い、ウクライナ上空では飛行中の民間機がミサイル攻撃を受けて墜落。
それが7月17日とくれば、いろいろな絡み合いが見え隠れして、1989年~1991年の大転換期と同じニオイがプンプンしてきます。
いよいよ始まるぞ。
ワールドカップが終わるのを待ってから開始する段取りが練られてたとすると、ヨーロッパ諸国の力が働いていることは間違いないでしょう。

7月17日は地球内だけでなく、太陽系規模でも重要な日なんです。
1994年にはシューメーカー・レビー第9彗星が木星に衝突しまして、彗星が惑星に衝突するのは1000年に1度の頻度らしいのです。
ところがですよ、2009年にも2010年にも彗星の木星衝突が観測されまして、しょっちゅうあるじゃんか。

けど、驚くのはここからで、1994年も2009年も2010年も彗星が木星に衝突したのは7月17日。
続く。