「秋の白山周遊ツアー第2弾」(10/20-21)のご案内

※ 定員に達したため、締め切りになりました。

—————-

白山ツアーの詳細が決まりました。主催者さんの案内をそのまま掲載いたします。

※ご注意:申し込みは数霊屋総本家ではありませんのでよろしくお願いいたします。

================================================

数霊シリーズ 著者 深田剛史さんと行く秋の白山周遊ツアー 第二弾

紅葉がまばゆい10月20日(土)~21日(日)の2日間で、白山をぐるりと時計回りに1周するバスツアーの第2弾です。

行き先は初日が岐阜県奥美濃、白鳥(しろとり)の長滝白山神社と白山文化博物館、そして石徹白(いとしろ)の白山中居(ちゅうきょ)神社になります。
数霊シリーズでは中居神社が毎回のように出てまいりますが、白山(しらやま)のもっとも古き神々はここに封じられています。

続きを読む

スペシャルな2日間 in 信州飯綱高原

9月8日(土)~9日(日)に信州信濃の飯綱高原でスペシャルなイベントが開催されます。

飯綱は戸隠のすぐお隣りで、戸隠は数霊シリーズの「臨界点」や「時空間日和」などにも登場してるのでご存知かと思いますが、飯綱もステキなエリアです。

今回は音魂の小嶋さちほさんともご一緒で、数霊&音魂コンビが久々に復活します。

他にも素晴らしいプログラムが組まれているようなので、主催者さんの案内をご覧ください。

☆申し込み先は数霊屋総本家ではありませんのでご注意ください。

詳細および申し込み先
https://ameblo.jp/imakokowatashi-arigatou/entry-12391277391.html

「秋の白山周遊ツアー第2弾」予告

紅葉がまばゆい10月20日(土)~21日(日)の2日間で、白山をぐるりと時計回りに1周するバスツアーの第2弾です。

行き先は初日が岐阜県奥美濃、白鳥(しろとり)の長滝白山神社と白山文化博物館、そして石徹白(いとしろ)の白山中居(ちゅうきょ)神社になります。

数霊シリーズでは中居神社が毎回のように出てまいりますが、白山(しらやま)のもっとも古き神々はここに封じられています。

ちなみにボクは約1000年前の修行僧?時代、あまりにも不真面目なために破門にされたのがここ中居神社でして………………詳しくは数霊シリーズの「臨界点」に書きましたので省略します。

続きを読む

糺日本書紀 part11

part9でお話しした万葉集の歌についていくつかの質問が来てますので、その関連話題をいくつかお話しします。
皆さん、万葉集に興味をお持ちなんですね。ボクは才能がないので歌がさっぱり理解できません。

さて、香久山・耳梨(耳成)山・畝傍山をそれぞれ天智天皇・天武天皇・額田王(ぬかたのおおきみ)の三角関係に例えてうたった歌は、万葉集の巻一の13番歌です。
「香久山は 畝火雄々(をを)しと 耳梨と 相争いひき 神代より 斯(か)くにあるらし 古昔(いにしえ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 嬬(つま)を あらそふらしき」
んー、解説してもらわないと、未だによく理解できない。

続きを読む

糺日本書紀 part10

part9の続きです。
新羅の武烈王になった金春秋は、若かりしころ蹴鞠をしていて金ユシンの妹の文姫(ぶんき)と出会いました。まぁ作り話ですけど、歴史上はそういうことになってます。
そして金春秋と文姫の間にはやがて新羅の文武王(ぶんぶおう)なる法敏が生まれるんですが………………

蹴鞠をしていて金春秋の衣装の紐が切れたとき、なぜ姉の宝姫(ほうき)は金春秋の前に姿を現さなかったのでしょう。
それは宝姫がそのときすでに妊娠していたからと推測されまして、金春秋と文姫の子になっている法敏は実は姉の宝姫が生んだ子のようなんです。なので父親は金春秋ではありません。

続きを読む

糺日本書紀 part9

日本書紀では中大兄皇子(のちの天智天皇)と中臣(藤原)鎌足との出会いが、中大兄皇子が蹴鞠をしていたら靴が飛んでいってしまい、それを鎌足が拾って中大兄皇子に履かせてあげたことがきっかけだったんだとさ。
まぁこの話は100%フィクションなんですが、中大兄は皇太子ということになっているので、蹴鞠をしている場へ近付くことができた鎌足はフツーの農民ではないですよね。

この創作話、実は新羅にも同じようなものがあるんです。
天智・天武と同じ時代のこと、新羅に武烈王の金春秋という武将がいました。
彼は新羅の高官であった金ユシンと蹴鞠をしていたところ、金ユシンが金春秋の衣装を踏みつけてしまい、衣装の紐が切れてしまったんです。

続きを読む

「糺日本書紀 part8」

数霊シリーズ第8弾の「諏訪古事記」にも書きましたが、天武天皇は日本書紀によると天武15年に亡くなっていることになっていますが、おそらく天武11年に天皇の立場を追われて逃げたか、あるいは殺されているはずです。
天武15年は”朱鳥(あかみとり)”という元号になっていますが、判りにくいので天武15年のままでいきますね。
日本書紀の天武期を読むと壬申の乱以外はあまり面白くなく、それが天武11年まで続くんです。
ところが天武11年の途中から、”あんた、どないしたねん”と思うほど内容が変わりまして、つまり天武天皇から他の誰かに入れ替わったことを日本書紀の編者は伝えてくれているんですね。

続きを読む

火山と”63”

この話題、興味本位だけで話すのは不謹慎なのですぐには出せませんでしたが、数霊話題を少々。

2018年6月3日、グアテマラにあるフエゴ火山が大噴火して、麓にあるエル・ロデオの町で大きな被害が出てしまいました。
6月3日といえば、1991年の6月3日に雲仙普賢岳が噴火し、発生した火砕流により42名が亡くなっています。

数霊で”火山”は
カ=6、ザ=56、ン=1
なので、合計「63」になります。
2014年に噴火した木曽御嶽山の死者・不明者の数は63名です。
これをどう解釈すればいいのでしょう?

続きを読む

糺日本書紀 part7

これまで高市(タケチ)皇子の父は天武天皇と考えられてきました。
壬申の乱においても高市皇子は大海人皇子(のちの天武天皇)に味方をしており、そのことについても疑問視されることはありません。
しかし高市皇子の父は天智天皇です。
ではなぜ壬申の乱で同じく天智天皇を父に持つ大友皇子側につかなかったのでしょう。母は違っても兄弟なんだから。

実は高市皇子にとって一番の敵は身内にいて、それが同じ父を持つ大友皇子です。
高市皇子にとっては自分が即位するために大友皇子が邪魔で仕方ありません。
そこで高市皇子は壬申の乱で、大友皇子にとって最大の敵である大海人(天武天皇)と”敵の敵は味方”同盟を結び、親子の契りを交わして近江王朝側と戦ったんです。その契りから高市皇子は天武天皇の皇子ということになりました。

続きを読む

糺日本書紀 part6

以前にも触れましたが、万葉集から日本書紀をひもとくと、天智天皇は間違いなく皇太子ではなくなってしまうんですが、実際にそうなのか、あるいは天武天皇側の誰かがそのように天智天皇をおとしめたのか?
万葉集のルールとして
☆天皇の歌は”御製歌”
☆皇后や皇太子の歌は”御歌”
☆その他は”歌”
とされていまして、例外はありません。約1名様を除いては。それが中大兄皇子(後の天智天皇)です。
中大兄皇子は皇太子であるにもかかわらずその歌がただの”歌”になっています。本来なら”御歌”とされなければいけないのに。
しかも作者名が中大兄になっていて呼び捨てなんです。皇太子が呼び捨てになっているのはこれも他に例がありません。通常は必ず名前のあとに”皇子”または”尊(命)”が付けられるのですが。

続きを読む