投稿者「数霊屋総本家」のアーカイブ

[骨の妙味 32]

背中の真ん中あたりは、けっこう内臓からの情報がつまっているんですね。
胸椎は1番~12番まであるんですけど、5番あたりから10番ぐらいまでは「内臓・海老蔵・ナウマン象」って昔から云われてますよね。云われてませんけど。
深田整体の場合、胸椎の5番は汗の関係で観ることが多いですが胃の影響もはっきり出ます。
11番はホルモンの分泌を主に観ていますので、今回は5番~10番までを考えたいと思います。

とはいえ、胸椎7番~11番へはショックを与えることで四十肩・五十肩(変な呼び方だ。他に呼び方はないのか?)にも効果がありますし、特に11番は性の問題に深く関わっていて、臓器以外からの情報もたくさん見つけることができますが、今回は臓器からの情報に限りましょう。
※整体教室では四十肩・五十肩の場合、肩甲骨で対応するようにしています。

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[骨の妙味 31]

今回は身体の回復力についてをお話しいたします。

身体の働く方向としては、現状の問題点を治そうとしかしません。
いつもいつもその問題点を治す方向に向かおうとするばかりです。
身体が自ら悪い方向へと進んで行こうとすることはないんですね。
身体はただただ治りたがっているだけ。
治す力が発揮できないのは、身体が治そうとする力よりも、悪しき生活習慣や片寄り疲労と普段の想念が、治りたがる力を上回って身体に負担をかけているからです。

なので回復力を取り戻すには、治りたがる力の度合いが、身体にかかっている負担を上回ればいいわけです。
そのための手段は無数にあり、あらゆる手段が世の中に出回っていますが、即効性がありなおかつ持続性もあり、安全でお金もかからず道具も物品も必要なく、施術する側にも負担がない手段となると限られてきます。

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「遷都信濃国 vol.10」

天武天皇が遷都先に信濃国を選んだ理由につながるかは判りませんが、気になることがあります。
万葉集を古代韓国語で読み解いたイ・ヨンヒ著「天武と持統………」では、第2代綏靖(すいぜい)天皇と第14代仲哀天皇と第40代天武天皇が同一人物であると。
第2代・第14代・第40代を憶えておいてください。

第2代綏靖天皇は欠史八代に含まれるため実在と考える必要はありませんが、異称として「カム”ヌナカワ”ミミノミコト」と呼ばれています。
そして天武天皇は「アマノ”ヌナハラ”オキマヒトノミコト」。
綏靖天皇の「ヌナカワ」は”渟名川”と書き、天武天皇の「ヌナハラ」は”渟中原”と書きますが、古代韓国語では共に「ヌナカハ(=ヌナカワ)」の読みになり、意味するところは「沼生まれ」になるそうです。

信濃の国の一ノ宮といえば諏訪大社ですね。
諏訪大社の主祭神タケミナカタは、母の名をヌナカワ姫と申します。
同じヌナカワですが、天武天皇が遷都先に信濃を選んだことに関連性はないのでしょうか?

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「2015年 元日」

関係者各位にはすでに年始のご挨拶を冬至に済ませておりますが、太陽と地球の位置関係がフシダラな現在の太陽暦での新年、それでも明けましておめでとうございます。

大自然に呼吸を合わせれば冬至が大晦日であり元日でもありますので、冬至または翌日から12月末までの間に初詣へ行くと、掃除はしてあるし参拝客は少ないしでとても気持ちいいです。

ナゼか2015年の初詣は冬至の当日、愛知県小牧市の田縣(たがた)神社と大縣(おおあがた)神社での参拝になりました。
田縣神社は大きな男根が、大縣神社の姫の宮は社の奥に女陰が祀られていることで知られています。

また、その近辺は尾張の地を治めていた豪族が支配する地でもあったため、ヤマトタケルを調べるための取材参拝でした。
そうだ、「遷都高天原」にも両社は登場しています。

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「遷都信濃国 vol.9」

漢王(あやのみこ)は天智の異父兄ですから、天智より当然のこと年上になります。
天武を天智の弟としながらいろいろ矛盾があるのは、漢王がどこかで名前を改め大海人皇子として歴史に登場したからではないか?
といった、わりと正統的な仮説をvol.8の最後に紹介するつもりでした。
それだと天武が年上であっても簡単に説明がつきますので。
ただし、遷都先がナゼ信濃かについては、天武天皇(大海人皇子)=古人大兄皇子説の方が都合はいいですけどね。

話は変わりますが、vol.8で不比等と持統天皇が怪しい関係だったとしたら、と書きました。
当時は子供を母方の家で育てていたので、父が同じでも母が異なる場合は兄妹や姉弟は他人だとされます。
なので6~7世紀の王族には異母の兄妹が結婚する例がたくさんありました。
ですが、同母の兄妹や姉弟の場合、恋愛は近親婚になるため大きな罪になるんです。
で、不比等と持統は?

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「遷都信濃国 vol.8」

天武天皇は「天文遁甲(てんもんとんこう)」と呼ばれる占いに精通していたようです。
“天文”とは天体の動きで吉凶を占う占星術のことであり、”遁甲”は呪術の一種で戦の勝敗や農作物の出来を占う手段でして、どちらも中国から伝わってきています。
のちの陰陽師みたいですね。

さて、どうしてこんな話を持ち出したかと申しますと、もし天武天皇が信濃国を遷都先に選んだ理由(あるいは理由のひとつが)が「天文遁甲」による占いだとしたら?
そうなると残された文献などから歴史をひもとくことが困難になってしまいます。
しかし現代とは違って、古き時代は長く祭政一致で「マツリゴト」をおこなってきたでしょうから、それを推し量らずして歴史の謎に迫れるのかは難しいところです。
※「マツリゴト」とは、祭り・奉(まつ)り・祀(まつ)りだけがマツリゴトはでなく、”政”もマツリゴトと読み、祭事と政治は別々でない=祭政一致で国を治めることです。

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「遷都信濃国 vol.7」

もしも古人大兄皇子の新しい名前が大海人だとしたら………
大海人皇子の前半生はまったく不詳であり、歴史に突然出現しています。
もし残された歴史の通りに大海人皇子(天武天皇)が中大兄皇子(天智天皇)の弟だとしたら、大海人皇子の前半生が何も記されてないのは不自然極まりないわけですね。

天武天皇は第40代の天皇なのに、生まれた年が判っていません。
※天皇の呼称としては初代でして、大王(おおきみ)として第40代ということです。ただし、第15代の応神天皇以前は存在があやふやなので、実際は何代目なのか判りゃしませんけども。

天武以前の天智(第38代)も斉明(第37代)も推古(第33代)も継体(第26代)も生まれ年は定められています。
とにかく、第18代の反正天皇以降で生まれ年が判ってないのは天武だけです。
変でしょ。ねぇ、変でしょ。

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「遷都信濃国 vol.6」

685年(天武13)に天武天皇は三野王(美濃の王)を信濃に派遣し、その年に現在の松本市朝間温泉に行宮を造って信濃遷都を具現化しました。
天武天皇はどうして信濃の地を遷都先に選んだのでしょう。

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長野市内には現在でも「尾張」の名前が残っていまして、町名としては北尾張部(きたおわりべ)と南尾張部、そして尾張神社も存在しています。
近くには美和神社もありまして、境内入口の鳥居が、奈良県桜井市大神(おおみわ)神社の拝殿奥に隠れる三つ鳥居(三輪鳥居)ですので、御祭神はニギハヤヒでしょう。
もちろんのこと尾張国一ノ宮の真清田(ますみだ)神社も、東谷山の尾張戸(おわりべ)神社も御祭神はニギハヤヒです。

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同じ長野市で、松代の皆神山はかつてUFO神社が話題になりましたが、山頂の皆神神社境内には熊野出速雄(くまのいずはやお)神社があります。
御祭神の一柱「古人大兄皇子(ふるひとおおえのおうじ)」は、645年乙巳(いっし)の変で蘇我入鹿が殺害された後、古人大兄皇子も謀反の疑いで中大兄皇子(天智天皇)に殺された………ことになっていますが、実は皆神山に隠れていたとしたら…………

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「時空間日和」2/7 in 一宮市

2月7日(土)、愛知県一宮市で「時空間日和」開催。

「時空間日和」は前半と後半でテーマが異なる2部構成になっており、映像や音楽に合わせたナレーションと、その間を綴るトークが三次元世界と異次元を結びます。

前半のテーマは”時空を超えた意識”を身につけることです。
エジプト・イスラエル・シルクロードなどの映像とともに時空を超越した感覚を体感し、さらにはそれを日常の生活の中でも活かすことができれば、それが多次元的な生き方につながるはずです。
未来はすでに経験した過去かもしれず、過去は今後に経験するであろう未来だとすると…………これまで信じてきた時間の概念を外してしまいましょう。

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