月別アーカイブ: 2015年6月

「すみませーん、銅鐸くださーい」

古墳時代の訪れとともに衰退していった銅鐸文化に、ニギハヤヒ尊を重ねずにいられないのは勝手な希望的観測でしょうか?
ニギハヤヒ尊が鳴らしていた銅鐸なんかが残っていれば、オークションでいくらが付くことか…………

銅鐸といえば39個が出土した島根県雲南市の加茂岩倉遺跡を思い浮かべますが、加茂岩倉の銅鐸は初期のものなのでサイズは小型ばかりです。
ということは、”聞く(鳴らす)銅鐸”として使われていたのでしょう。
加茂岩倉遺跡は、銅剣358本が出土した荒神谷遺跡から直線だと3㎞程度の距離にあります。

加茂岩倉遺跡に次いで出土数が多いのは滋賀県野洲(やす)市の大岩山で、24個が出ています。
こちらは後期のものなのでとにかくデカイです。

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「遷都信濃国 vol.20」

まず初めに訂正させていただくことがあります。
このコーナーは天武天皇が遷都先にナゼ信濃国を選んだのか、その真相を探るためにスタートしました。どうして信濃の国に遷都しなきゃならないんだ、と。
ですが、天武天皇がおこなおうとしていたのは「遷都」ではなく、信濃を「陪都(ばいと)」とすることでした。信濃でバイトをするのではありません。それに天武天皇はバイトする必要などないでしょうから。

「陪都」とは?
都を1箇所だけに置くのではなく、首都以外に設けた都市が「陪都」でして、第2・第3の都のです。「陪都」はあるのかアルバイト。
天武天皇は唐の復都制に倣って、飛鳥以外にも都を置こうとしていたのです。多分たくさんのアルバイトを雇って。
ですからタイトルも「陪都信濃国」が正しいのですが、そこは変更せずにこのままいきます。

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「芸術古墳」

昨年10月ごろに古代史の探求を神社伝承から考古学に切り替え、各地の古墳・遺跡や博物館で学芸員に質問攻撃をしてきました。
博物館で面白かったのは埼玉県の埼玉(さきたま)古墳群のさきたま史跡の博物館、滋賀県の銅鐸博物館と安土城考古博物館、出雲の古代出雲歴史博物館と出雲弥生の森博物館、長野県の塩尻市立平出博物館と松本市立考古博物館、兵庫県加古川市の文化センター内博物館、奈良県の…………キリがありません。

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