大和天智が蘇我入鹿を殺害(乙巳の変)した後におこなったことになっている中央集権的な国家体制である律令制度(大化の改新)は、大和天智=鎌足が蘇我氏の政策を横取りしたのであり、本来は蘇我馬子・蝦夷・入鹿らの蘇我氏が進めていた国造りであると最近では考えられるようになっています。
ということは学校で教わる、蘇我氏が律令改革に反対したり横暴に振る舞ったから大和天智(当時は中大兄皇子)と鎌足が蘇我入鹿を殺害したというのはデタラメで、実は蘇我氏が律令制度を整えようとしていたのでしょう。
けど、大和天智は存在せず鎌足のことですから、鎌足は蘇我倉山田石川麻呂をそそのかして入鹿を呼び出し、現在も入鹿の首塚があるあたりで殺害したと思われます。
ということは、皇極天皇の目の前で入鹿の首がはねられた日本書紀のあのシーンもまったくの作り話ですね。
そもそもあのシーン……………
糺日本書紀 part15
part13では、天武天皇の正体は郭務宗(カクムソウ)の可能性がありそうだ、ということで終わってましたね。
ですけど実はカクムソウって藤原鎌足に比定されていまして、それはそれで納得できてしまうので事は単純じゃないんです。もちろん余豊璋(ヨホウショウ)=鎌足説も捨てきれませんが。
まず、鎌足と中大兄皇子(のちの天智天皇。けど天智の時代はまだ天皇の呼称がなかったので本来は天智大王)が出会ったきっかけは、中大兄が蹴鞠をしていたら靴が飛んでいってしまい、それを鎌足が拾って中大兄に履かせてあげたことになってます。もちろん作り話ですけど。
鎌足ってナニ者?
だって、皇太子ということになっている人が遊んでるすぐ近くにいられること自体、鎌足はフツーの人じゃないわけで、日本書紀の編者もそれは隠そうとしていません。
「弥栄整体教室 第4期岐阜4級クラス」のご案内
お待たせしていた整体教室の4級クラスが2月24日(日)からスタートします。
会場は岐阜市内OKBふれあい開館(サラマンカホール)の和室。
4級の目的はふたつ。
ひとつは5級で学べなかった新たな技を体得していただくこと。
もうひとつは5級で学んだ技の精度と効果をさらに高め、向き合う身体に何をすべきか見抜く力を養うこと。
4級も5回コースで、5級と同様に楽しいクラスになるでしょうし、今までのプログラムよりもさらに進化して充実した内容になっておりますので、ぜひご参加ください。
弥栄整体Tシャツ
2025=81×25
大阪の皆様、2025年の万博開催決定おめでとうございます。
「2025」って「81×25」ですので、ますますめでたいです。
今さら説明する必要はないですけど「81」って数霊では”光”とか”未来”だし、日本の国番号こそが「81」ですから、あとは「25」をどのように解釈するかなんですけど、それよりも今回が初めてじゃないですか? 大阪市と大阪府がひとつになったのって。
今までは何かにつけ市と府が対立して、対立というより敵視してましたもんね。
けど、今回の開催地決定の選挙ではおそらく大阪に決まるって思ってました。
というのも………………
DGSE(フランス対外治安総局)
DGSE(対外治安総局)とはフランスの諜報機関(要するにスパイ組織)でして、アメリカのCIAやDIA、イギリスのMI6、イスラエルのモサド、ロシアのSVR(かつてのKGB)、エジプトのGIA、日本の内閣調査室みたいなものです。
さて、ルノーの筆頭株主はルノー株の20%を保有するフランス国家なので、もしルノーの会長が海外で逮捕される情報を東京で活動するDGSEの諜報員がつかんでいれば、本国に必ず連絡します。
フランス政府としては国家にとっての不名誉なことを避けるため、ゴーン氏を日本に行かせなかったとも考えられるんですが、それをしなかったのはDGSEもその情報を知らなかったのか、それとも知ってはいたけど日本政府との関係に配慮してゴーン氏には知らせなかったのか?
弥栄整体Tシャツ
福井市内の小学校で保護者と生徒さん200人に整体教室を体験していただき、それ用にスタッフTシャツを作ったところ、各地の教室の生徒さんからもたくさん注文が入ってまして、でしたら余りをお分けいたします。
「12月9日のお話し会」ご案内
今年も12月に愛知県一宮市の小さなスペースでお話し会があり、今回は9日(日)になりました。
内容については今回も内面を深く深くえぐることになりそうで、通常の講演会よりも衝撃が大きいかもしれません。
小さな会なので遠慮なくたくさんの質問をお持ちください。
糺日本書紀 part14
天智・天武の両天皇の正体については調べるほどにワケが判らなくなり、判っていることは残された文献に史実はない、ということだけでしょうか。
なので今回は目先を変えて古代の道”東山道(とうさんどう)”についてです。
中でも美濃と信濃を隔てる難所”神坂(みさか)峠”については以前から疑問に思っていたことがあり、それがこのたび現地の研究者らに取材してやっと謎が解けました。
古代に整備された七つの官道、東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道を道の名前と思ってましたが、行政区のことでして、その行政区を貫く街道が今はそのまま道の名前として呼ばれているわけだったんですね。