投稿者「数霊屋総本家」のアーカイブ

カミさんが逝きました

皆さんご存じかもしれませんが、今年の8月7日にカミさんが他界しました。
3年前から子宮体癌であることは判ってましたが、だからと言ってカミさんが放射線や抗がん剤の治療を受けるはずもなく、ボクとしても”ただの癌じゃん”と、気にしてませんでした。

それからは毎晩のように老廃物のたまった仙骨をゆるめたりしましたし、本人もあらゆる努力をしていましたが出血がひどく、貧血で何度も倒れていまして、ヘモグロビンの値が4、8とか5、3とかになっていました。
一番ひどかったときの数値が2、7で、それって死んでるでしょう。
倒れるたびに輸血はしてもらうんですが、カミさんはそれさえも嫌だったようで、強いと言えば強い。

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糺日本書紀 part1

part0にも書きましたが、「糺日本書紀」は、”ただす(の)にほんしょき”と読みます。
「諏訪古事記」の原稿を書き終えた翌週、いきなり新しい課題が突きつけられ、今まであちこちに天武天皇を追いかけてきましたが、どうやら次は天智天皇です。つまり双方を知れとのことなのでしょう。

始まりの舞台は福岡で、しかも糸島とか志賀島じゃなくて予想外の遠賀川流域でした。
遠賀川流域には魅力的な古墳がたくさんあり、以前から行きたかった地域なんですが、10月1日に遠賀川の河口付近で急きょ「遠賀開闢 第1弾 “宵祭り”」をおこなうことになってしまいまして、それをpart0で紹介しました。

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糺日本書紀 part0

<遠賀開闢 第1弾"宵祭り">
9月から遠賀川の河口付近の海沿いで福岡整体教室が始まったんですが、会場になっている齋藤シーサイドレディースクリニックのすぐ脇には縄文時代の山鹿貝塚がありまして、まさかの展開に驚きでした。
というのも、山鹿貝塚は九州を代表する縄文遺跡のひとつでして、3500年前(縄文後期)の人骨18体も発見されているんです。
また、クリニックの所有地になってる山には古墳があり、地面を掘れば須恵器がわんさか出てくる面白い森でした。

10月1日の日曜日クラスの終了後にその森で「遠賀開闢」の祭りをおこなうことが9月29日の夜にいきなり決まってしまい、急いで祝詞をつくり、海の幸・山の幸や他にナゼか竜胆(りんどう)の花が必要なので大量に用意していただき、蚊に刺されながら宵祭りをおこないました。

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諏訪古事記

いよいよゲラの最終チェックが終わり、あとは10月末の仕上がりを待つばかりになりました。
表紙はこんな感じで、これはサンプルなので光沢などが実物と異なりますが、いよいよ最終段階に入りました。

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最後のオンバシラ祭り

信濃国三ノ宮は安曇野市の穂高神社だけかと思っていましたが、松本市の島立にある沙田(いさごだ)神社も三ノ宮で、住所も字は三ノ宮でした。
信濃国二ノ宮小野神社のオンバシラ祭りでお世話になった氏子さんに沙田神社の役員さんを紹介していただき、最後の最後、本当に最後になる沙田神社のオンバシラ祭りに参加することができました。

曳いたのは町区・永田区が曳行する二之御柱で、この地区の氏子さんがこれまた親切でして、お供えしたお神酒とご祝儀のお返しにと木遣り衆の皆さんがお礼の木遣りを鳴いてくださったり、曳行途中でオンべを振らせてもらったり、やっぱり飲め飲め攻撃を受けたり、お昼にはお弁当まで用意していただきまして、何から何までありがとうございました。

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数霊セミナー&ワークin西宮廣田神社(11/3・西宮)

兵庫県の西宮です。廣田神社の隣りだそうです。

廣田神社といえば、はせくらみゆきさんと二人並んでの参拝中にはせくらさんが突然
「ときが来た。カナンの地へまいれ」
と恐ろしい声で語り始め、結局その後に一人でエルサレムへ行くことになりました。

記憶があいまいですが、はせくらさんは
「タケミナカタの呪をほどけ」
とこれまた恐ろしい声で語ったのも廣田神社かもしれません。
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福岡コラボ、10月29日

8月5日に東京で開催されたスターピープル対談記念のコラボが福岡で再び!
ちょうど9月から第3期の福岡整体教室が始まりましたので、秋は福岡三昧になりそうです。
8月5日の東京ではかなりマジメにお話ししまして、福岡でもさらにマジメにやりますし歌います。
以下は主催者様からの告知をそのままご案内いたしますので、会場でお会いできることを楽しみにしております。

↓↓↓
山水治夫×深田剛史
~Star People vol.63 対談記念コラボ~第2弾☆in福岡

東京にて、7年ぶりに復活したこのお二人のコラボ☆

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原稿、書き終わりました

2月5日に書き始めた『数霊 諏訪古事記』の原稿ですが、本日8月11日にやっと完成いたしました。

今回は23マス×18行の特殊な原稿用紙を用意して661枚。
一般的な20マス×20行の原稿用紙に換算すると684枚になり、やっぱりいつもと同じでした。
途中で380枚を書き直したので、それも合わせると1000枚を超えてしまい、ですから書き上げるのに半年もかかってしまいました。
書き上げたのに、来週はまた諏訪に行ってきます。

ゲラができたらまた訂正や書き直しがあるでしょうが、秋には発売できると思います。
タケミナカタは出雲といっさい関係ないですし、コトシロヌシもそうでした。
天武天皇や持統天皇についてはもう驚いちゃって、日本は歴史認識を改めろという中国や韓国の政府はある意味で正しいっす。