岡谷市川岸地区のルパン三世大総代からいただいた資料の表紙にはナゼか”マル秘”マークがあり、ページをめくると川岸の熊野神社について書かれていました。
この熊野神社は10月の御柱祭りで里曳きと建て御柱に参加させていただく予定ですが、マル秘資料によると
「熊野神社の所在地はアイヌ人の遺跡である。この遺跡は太古、天龍川岸の時代にアイヌ人の漁場であった事が出土品から証明されている…………」
えっ、アイヌ人ですって?
天龍川岸の時代という表現がいまひとつ捉えにくいところですが、この地域は諏訪湖から天竜川が流れ出たほんの1㎞あたりの地区でして、多くの人々が川沿いに寄り添って暮らしていた時代のことでしょうか?
とにかく、資料をそのまま信ずるならばここにもアイヌ人が来ていたわけで…………
投稿者「数霊屋総本家」のアーカイブ
「諏訪大社下社遷座祭・お舟祭り」
2月1日に秋宮から春宮へ遷座した御神霊は7月末に春宮でのハタラキが終わり、8月1日には春宮から秋宮へ移ります。そして毎年、春宮から秋宮への遷座祭ではお舟祭りも同時におこなわれます。
このお舟祭り、翁(おきな)=タケミナカタと媼(おうな)=ヤサカトメを乗せた柴舟が氏子さんたちによって御柱のように曳行されるんですが、大きなお舟を途中で横倒しにするんです。もちろん翁も媼も宮司も氏子も乗ったままで。諏訪の氏子は恐ろしい!
何しろお舟を横倒しにしたり戻したときの衝撃ときたら、しっかりつかまってないと吹っ飛ばされるほどで、岡谷市川岸地区の笠原大総代も若かりしころに乗ったらしいんですが、すぐ隣りに乗っていた人は衝撃で飛んで行ってしまって3ヶ月入院したそうです。
「諏訪古事記 番外編その12」
諏訪なるは
この龍体のヘソなるを
知りておるかや人々よ
メビウスの
輪の交点に位置するは
“ス”と”ワ”なりしを知りおろう
“ス”から巡りて”ワ”で閉じる
オンバシラを交点に建て
それを巡る人々よ
「8」の字巡りをされしとき
真なる世界 巡り来る
神ゴトを避けて逃げて隠れて無視してきましたけども、とうとう次なるものが来てしまいました。
“この龍体”とは日本列島のことでしょうか?
とにかく、地面に麻紐でメビウスの輪を作ってその交点にオンバシラを建てよとのことですが、オンバシラは細くてもいいようで、ちょうど長野県で栽培された麻の茎をいただいたのでそれを建てることにします。
「信州諏訪・御柱祭り体験と縄文の息吹を感じるツアー」
10月22日(土)~23日(日)。
諏訪大社上社(前宮・本宮)に建てられた新しい御柱に触れ、
昼食後は国宝「仮面の女神」土偶が発見された中ッ原遺跡に寄り、
蓼科高原のホテルで”縄文トーク”と”御柱ライブ”を楽しみ、
翌日は下諏訪町の熊野神社(予定)で”御柱祭り”に参加する
ホットなツアーです。
「小宮御柱祭り 第1弾 part2」
☆写真1:夢を叶えていただいた壺井八幡神社の小宮御柱祭り。茅野市玉川山田地区はこんなロケーションの中にあります。
背後にそびえる八ヶ岳はとても雄大かつ美しく、ねぇねぇ皆さん毎日この景色を見てるんっすか?
「小宮御柱祭り 第1弾」
4月の「山出し」と5月の「里曳き」で諏訪大社の御柱(ミハシラ)大祭は終了しましたが、次は各地区にある神社の御柱(オンバシラ)祭りが始まり、それを小宮御柱祭りと呼びます。
小宮御柱祭りの規模は大小さまざまで、ほんの小さな祠でもそれぞれに4本の御柱を建てるため、それはそれは微笑ましい限りです。
小宮御柱祭りをおこなうのは小さな祠まで含めると300社を超えますが、中には諏訪大社に引けを取らないいほど立派な御柱を建てる神社もあります。
すでにいくつかの神社で新しい御柱が建ちましたが、今回は茅野市玉川地区の壺井八幡神社で御柱を曳かせていただけることになり、オリジナルのハッピに地下足袋で参上です。
そして総代さんの配慮で、なんとなんと憧れのメドテコに…………
「数霊セミナー&ワーク」
9月22日の秋分に名古屋です。正確には名古屋の東隣りの日進市です。
“にっしん”といっても市民はいつもカップヌードルばかり食べてる訳ではありません。それは日清ですし。
さて、主催者さんからの案内文をそのままお伝えしますのでご覧ください。
ランチをはさんでたっぷりと時間を用意していただきましたので、いろいろなワークもやってみましょう。
まだ数霊ワーク未体験の人はぜひご参加ください。楽しいですよ。そして笑えます。感動もしていただけると思います。
※申し込みは数霊屋総本家ではありませんので、どうぞお間違えのないようお願いいたします。
「諏訪古事記 その14」
今回のテーマは薙鎌です。”なぎがま”と読みます。
諏訪では御柱大祭におけるいくつかの神事で薙鎌を使いますが、薙鎌は一般的に風を鎮めるための道具でして、諏訪以外でもその風習は残っています。
諏訪の場合、秋の台風シーズンになると薙鎌を木の棒に打ち付けて屋根の一角に立てたり、風の強い日には竿の先に結び付けて軒先に立てたりしました。
法隆寺の五重塔にもてっぺん近く(九輪と呼びます)に4本のカマが打ち付けてあり、それも風鎮めのためだとか。
ですが諏訪においての薙鎌は風鎮めのためだけの道具ではありませんで、それがあまりにも謎なので茅野市の薙鎌職人さんを訪ねました。信州鋸(のこぎり)の職人さんなんですが、諏訪地方では2人しか残っておらず、迷惑を承知で工房へ押し掛けまして……………
「諏訪古事記 番外編その11」
静岡県御前崎市の”桜ヶ池”では、お米を詰めたお櫃(ひつ)を池底の龍神にお供えするお櫃神事で、池に沈めたお櫃が諏訪湖に浮かび上がるという言い伝えが残されています。
また、真意はどうあれ静岡県浜松市の岩水寺裏手の洞窟も諏訪に通じていると、文献に残されているそうです。
逆に、諏訪大社の摂社で茅野市にある葛井(くずい)神社では、大晦日におこなう神事で神社の裏にある清池に投げ入れた弊帛(へいはく)・榊や柳の枝・柏の葉が翌朝には遠江(静岡県西部)の”さなぎ池”に浮かぶとの伝承が残されています。ただし、その”さなぎ池”がどこにあるかは判っていません。
「諏訪大社御柱祭り 上社宝殿遷座祭」
6年15日の上社宝殿遷座祭をもちまして、6年に1度の諏訪大社式年造営御柱大祭が終了しました。正式には”ミハシラ”であり、”オンバシラ”は通称ですので、式年造営ミハシラ大祭と読みます。
この行事、現在は宝殿のみを建て替えて遷座をしていますが、かつては宝殿以外にも建て替えてをおこなっていたようです。
実は式年造営御柱大祭は本来ですと宝殿の建て替えがメインの行事でして、ですから下社も里曳き前日の5月13日に宝殿遷座祭をおこなっています。
それで、妙な話なんですけどオンバシラの建て替えはそれに付随する神事なんですって。今となってはオンバシラ祭りに軒を貸して母屋を取られたみたいになってますけど。