弥栄古代史研究室」カテゴリーアーカイブ

「諏訪古事記 番外編その7」

ハチの散歩をしている途中で道路脇の工事現場に何気なく視線を向けた瞬間、いきなり心臓がドキッとして、何だかものすごい幸せ感につつまれました。
えっ、何?
それであわてて理由を探したらすぐに判明しました。これか。
そこには建て替え用の長い電柱が4本並んで置いてあったんです。諏訪のオンバシラ置き場とダブったのでしょう。
オンバシラ病はかなり進行しているようです。

諏訪湖から流れ出る天竜川は浜松まで南下して太平洋にそそぎます。
諏訪への文化の流入は現代人の考えで地図を見ると、どうしても尾張や美濃を通り………現在の名古屋界隈から岐阜県の多治見や中津川を抜け、木曽川沿い(中山道)を北上して諏訪入りしたように思えてしまいますが、当時の移動は船が主流ですので天竜川沿いを北上して諏訪に向かったのでしょう。

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「遷都信濃国 vol.27」

壬申の乱で天武天皇に協力したのは諏訪の金刺氏。金刺氏は諏訪大社下社(春宮・秋宮)の大祝(おおはふり)です。
一方で諏訪大社上社(前宮・本宮)の大祝は諏訪氏で、金刺氏とは敵対関係でもあると申しました。
そして金刺氏を滅ぼしたのは諏訪氏(の一部)であるとも。

「遷都信濃国」の性質上、天武天皇に協力した金刺氏に肩入れする方向で古代史をひもとく内容になりそうなものですが、そう単純な話ではございません。
そもそも上社の諏訪氏と下社の金刺氏は元々が同族のようで、諏訪の地へ進出する以前は伊那谷の、現在の飯田市あたりを本拠地としていたようです。
ちょうどその時期、飯田市界隈に前方後円墳が24基も造られていて、朝廷にとって何か利益になるモノを持っていたからこそ古墳造営を許可されたのでしょう。

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