「大阪整体教室のご案内」

開催まであとひと月ほどになりましたが、まだ空きがありますので再度ご案内いたします。
最近はテレビでも肩甲骨を取り上げる番組が多くなってきましたが、その肩甲骨(健康骨)まわりの筋肉と、そして大脳の緊張をゆるめることで身体に劇的な変化が出ますので、ぜひご家族にしてあげてください。
初心者向けの「家族にしてあげられる整体教室」ですので、まったくの未経験者でも心配なく参加していただけますし、施術者に負担がかからない技術をお伝えしています。
内容としては「骨の妙味」コーナーをご覧いただければより理解していただけまして、最新の[骨の妙味 42]にも関連した内容が出ています。

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[骨の妙味 42]

最近は頭の血管に問題があるであろう(あった)お客さんからの整体依頼が多く、共通しているのは”頭の5番”のつまりです。
整体教室で”頭の5番”と呼んでいるのは盆の窪(ボンノクボ)を中心とした後頭骨のヘリのことで、頭蓋骨と首の境目です。
教室では眠りの質が悪い人や眠れない人に、うつ伏せのままで頭の5番をゆるめる方法をお伝えしていますが、他にも目の疲れが抜けなかったり虫歯を治しても歯が痛む場合、耳鳴りや鼻づまりなどにも効果が見込めると思います。
また、脳梗塞で半身が麻痺している人や、ラグビー中の事故で手足に障害が残っている学生さんも、同じように頭の5番に妙な張りがありました。
※脳梗塞、くも膜下出血、脳出血などを総称して脳卒中と呼んでいます。

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「浜松整体教室の予告」

夏~秋にかけての教室が、豊橋(愛知県)と岐阜は終了し、鯖江(福井県)と神戸も12月初旬までには終わります。
12月19日(土)からは大阪教室が始まりますが、年明け最初の教室は浜松に決まりそうです。
会場は浜松市西区の伊佐見協働センターで、1月23日(土)か24日(日)からのスタートを予定しています。
今まではどこであっても例外なく楽しい教室になっていますので、ぜひご参加ください。
内容につきましては「骨の妙味」をご覧いただくと判りやすいです。

「諏訪古事記 その8」

中世の諏訪はなかなか壮絶だっようで、上社の諏訪家も下社の金刺家も武士として力を誇示していた時代があり、鎌倉幕府滅亡前は北条家と共に戦ったり、室町幕府が成立すると反足利の諏訪家は南朝に従ったりで、縄文や弥生から受け継がれてきたミシャグチ神やソソウ神への信仰はその時代どうなっていたのでしょうか?
諏訪明神が武神として崇められたために、祭祀を司って神を自身に宿す立場の大祝(おおはふり)までもが戦いに明け暮れた結果、諏訪家も金刺家もまるで寺侍のようになってしまったわけです。
はたしてそんな時代も御柱は建て替えられていたのかハナハダ疑問があります。
御柱祭は1200年の歴史を持つといわれていますが、そのあたりはどうなんでしょう。

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「諏訪古事記 その7」

昨日「番外編その4」で中ッ原(なかっぱら)遺跡に復元された八本の柱(写真1)を取り上げたところ、今朝の中日新聞一面に琵琶湖の湖底で見つかった八本の柱の写真が出てました。
諏訪の御柱祭も上社(前宮・本宮)と下社(春宮・秋宮)でそれぞれ八本ずつ建てますので、これからは八本の柱が流行るのでしょうか。

2008年2月26日に琵琶湖で「日之本開闢祭り」をおこないました。
数霊でも”日之本開闢”はちょうど「226」になりますし。
それで当時、琵琶湖は女性性で諏訪湖は男性性と考えていましたので、2月26日の年対称日に当たる8月26日に諏訪湖でも「和睦の祭典」をおこなったわけです。
そしたらその日は諏訪大社でも御射山祭の初日でちょうど良かったです。

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「諏訪古事記 番外編その4」

若かりしころから慢性的な「長野県中毒症(半年以上長野県内へ行かないと激しい禁断症状に苦しむ病気)」が続く上に、最近はウイルス性の「御柱(おんばしら)バカ」という病いを患っているため、神戸・奈良・富山・福井の仕事を無理やり一週間に詰め込み、翌日の早朝から諏訪へ。
今回泊まるホテルは茅野駅前にして、駅周辺の居酒屋で地元の氏子さんを探してみることにします。

けどその前に、ここのところ車の中で聴きっぱなしのCDがあり、「氏子の御柱」というタイトルで、”氏子の御柱制作委員会”から出ています。
曲は
“氏子の御柱~上社編~”
“氏子の御柱~下社編~”
“御柱”
の3曲で、クレジット・タイトルには歌っているのが葦木美咲…………えっ、美咲さんなの!

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「諏訪古事記 その6」

主流を「遷都信濃国」から「諏訪古事記」へ移して最初のテーマが
“タケミナカタは実在した人物なのでしょうか?”
でした。

2009年に発表した「弥栄三次元」ではタケミナカタと美保関のミホススミとヱビス神を結びつけた物語にしましたが、元はといえば諏訪とエジプトのアスワンの関係(天地大神祭=2008年)からでした。
そして次作「ヱビス開国」(2010年)へとつながって舞台はイスラエルのエルサレムになり、そのままの流れで「時空間日和」(2011年)の戸隠へと展開したわけです。
さらに戸隠からトルコのタガーマ・ハラン(高天原)やアララト山へ発展(遷都高天原=2013年)し、そこで完了のはずが、またまたトルコの女神が諏訪へと。
なので諏訪やタケミナカタは原点であり、今のところは到達点でもあるわけです。
ところが……………

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「諏訪古事記 その5」

最近は御柱(おんばしら)のことばかり考えているので、道路沿いの電柱まで御柱に見えてしまいます。
数にすると
“オンバシラ”は「125」で、”開闢(かいびゃく)”などと同じですが、なんと”守屋山”も「125」になりまして、2016年は「125」がキーナンバーかもしれません。
“ミハシラ”ですと「117」になり、”ありがとう”とか”誕生”ですね。

けど今回は諏訪の元神とも言うべきミシャグチ神と、それを祀る守矢氏についてを。
諏訪大社本宮から前宮へ向かう途中で、茅野市に入るとすぐに神長守矢資料館はあります。
神長は”じんちょう”と読み、かつて諏訪氏が大祝(おおはふり・おおほうり)だったころ、諏訪氏を補佐する五氏(五官祝)の筆頭が神長または神長官と呼ばれ、守矢家がそれにあたります。

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「諏訪古事記 その4」

♪奥山の大木
里にくだりて神となる

6月から諏訪通いが続いておりまして、9月半ばからは5週間で5回(10月23日現在)と、まさに毎週諏訪の地を訪れています。
そうすることでやっと見えてきたものもありますが、それとは別に諏訪の地はいよいよ来年の御柱祭に向けて気持ちの高ぶりと緊張感が増しつつあるように思いました。
特に上社(前宮と本宮)地区の氏子は2月15日におこなわれる抽籤(ちゅうせん)式に向け、年明けの元旦早々から毎日早朝に集結して、諏訪の神様に壮絶なお詣り合戦が始まるそうです。
というのも、抽籤式ではどの町内がどの御柱を担当するかを決めるんですが、すべての町内が「本宮一之御柱」を狙っているため、その願掛け参りが連日続くわけです。

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「諏訪古事記 番外編その3」

幾星霜
めぐりめぐりて豊穣の
女神立ちたる諏訪の地で
黄金の稲穂  両の手に
抱えし姿  見えたるか
幾星霜
豊穣の  女神なりしと称えられ
数多(あまた)の像は造られし
幾多の畏怖と崇拝に
真なる姿は隠されし

知りたる者よ  今ここに
真澄の心  差し出して
深き謝罪と感謝をの
時空を超えてその心
光となりて地をめぐり
風に乗りては空を舞う
まことに佳き日  めでたき日

あらかじめこれをいただいておりまして、10月20日に諏訪へ下見に行きました。
それでミシャグチの裏山の磐座も予想していたところに間違いなかったため、23日に再び諏訪へ行きアナトリアの女神にご挨拶してまいりました。

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