日々是白馬村 part 35

白馬村もそろそろ初夏の様相を呈してまいりまして、早く秋にならないものかと欲し願う昨今であります。
これまで撮りためてきた白銀まばゆい冬景色と色鮮やかな春の写真を見比べていたら、冬も春も同じ場所から同じアングルで撮ったものがいくつかあることに気付き、これがなかなかのものでしたのでぜひご覧いただきたく思います。
題して「白馬村の冬と春 2024」

残念ながら桜の写真はあまりありません。それにはワケがありまして、桜が咲き始めたころの白馬村は曇りの日が続いてアルプスはちっとも姿をみせてくれませんでした。なので写真も撮ってません。
そしてやっと晴れたかと思いきや今度は黄砂で山がボンヤリ霞んでしまい、アルプスはどこやねんというほど何も見えない日が2日間続き、翌日は黄砂の影響が残るもののやっとこさ桜と北アルプスが撮れました。けどちょっと桜は散り始め。次の快晴ではもう遅かったという訳です。

まず最初は大出(おおいで)の吊り橋から。
白馬村で真っ先にハチを連れて来た場所です。ハチとここを散歩したくて移住してきたと言っても華厳の滝です。いえ、過言ではありません。
冬:1月29日と春:4月26日(写真 1・2)

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日々是白馬村 part 34

今日は山小屋のお話なんですが、その前にひとつだけ先日の新聞に出ていたニュースを。
下諏訪町にあるカフェが図書室を併設したとのことで写真入りの記事が出ていまして、その写真のかなり目立つところに数霊シリーズの「諏訪古事記」が写ってました。
それで「諏訪古事記」の隣りには「まぼろしの諏訪王朝」(増澤光男著)が並んでるではありませんか。おー、スゴい。諏訪古事記を書き上げるにあたり、もっとも参考にさせていただいた著書のうちの一冊です。(写真 1)

さらに下段を見ると「諏訪古事記」のすぐ真下に「アルプスの谷 アルプスの村」(新田次郎著)を発見。なんだか嬉しくなってしまいました。
「アルプスの谷 アルプスの村」は昭和39年の発表なので、今年でもう60年。ヨーロッパアルプスと麓の村に暮らす人々を描いた旅行記(紀行文)なんですが、学生時代にこれを読んでヨーロッパアルプスに憧れたものです。今まで何度読み返したことか。白馬村へ越す床してからも昨年の11月ごろでしょうか久しぶりに読んだんですが、ヨーロッパアルプスの麓の村で暮らす人々の話を日本アルプスの麓の村で寝っ転がって読むのは格別でした。
60年前でも日本人はヨーロッパアルプスに登っていたんですね。
けど考えてみればボクの母も60数年前に白馬村へ来て宿を手伝いながらスキーを楽しんでいたんだから、ヨーロッパアルプスに登る人がいたって不思議ではないのか。

さて、スキーシーズンが終わった白馬村では登山客が増えてきたのでアルプスの山頂付近を双眼鏡で覗いてみたら、いましたいました雪の斜面を登る人たちが。

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日々是白馬村 part 33

久しぶりの快晴。5時に起きてハチと早朝散歩へ。
今度のアパートは100メートル北に大きな川(松川)が流れていて、まだ桜が咲いてました。ずいぶんと長く咲いているんですね。
枝垂れ桜?と五竜岳。(写真 1)

そうそう、part 32で桜餅を包む葉っぱの話をしましたが、それはオオシマザクラの葉っぱなので、北国に咲くオオヤマザクラではありません。勘違いしてました。
オオシマザクラは伊豆などに多いので雪国白馬村には咲いてないと思います。花の色も白ですし。名前が似てるとはいえ、大変失礼いたしました。

この日は大出(おおいで)の吊り橋で9時に待ち合わせ。
冬に雪の中をハチと散歩していたとき、大阪から安曇野へ移住されてるご夫妻と出会いました。
話をしていたらなんと数霊の読者さんで、そのご夫妻と久しぶりにお会いすることになったんです。
なのでハチと8時半ごろ2回目の散歩に出てそのまま吊り橋へ向かいました。
そしたらその道中の美しいこと美しいこと。
美しすぎて 君がこーわいー/野口五郎

まずアパートから徒歩1分のスーパーデリシア前で国道を渡ると菜の花畑が。(写真 2)

ここから楽園が始まります。
あとの写真はすべて吊り橋への行き帰りですが、解説は要りませんね。春の白馬村をお楽しみください。
と、のどかなことを申しておりますが、この日(26日)の最低気温は3.2度。ヒンヤリと爽やかな朝でした。そして最高気温は27.1度で夏日になり、その気温差は23.9度。
よくニュース番組で朝と日中の寒暖差が10度以上なので体調管理にご注意くださいとか、身体がついていかないですよねぇとかおっしゃってますが、軟弱なことを言ってるんじゃありません。身体はちゃんと対応するから大丈夫です。
そんな程度で体調を壊していたら20度以上差があると死ぬぞ。以上。

28日も朝から快晴だったので、そちらも合わせて春の白馬村です。

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日々是白馬村 part 32

4月10日前後から白馬村でも桜が咲き始めました。
大出(おおいで)の吊り橋付近も少しずつ咲き始めてはいましたが、満開に近くなってきたら山に雲がかかる日が続いたり、晴れたと思えば黄砂で山がかすんだりでなかなか条件が整いません。
ですがやっと20日になって残雪のアルプスと満開の桜と黄砂の飛んでない青空が揃いました。少しは飛んでるかもしれないですけど。というのも、空の青さに鮮やかさが欠けていたので。
翌日以降は曇りが続き、週間予報も快晴マークがしばらく出てないため、20日の午前中がベストだったかもしれません。
それにしてもソメイヨシノ以外の桜を毎日朝から何度も何度も眺めていたのはこの歳になって初めてかもしれず、これまでの人生でもっとも豊かな春を過ごせています。
雪が消えて嘆いていたんですが、春も幸せをたくさん感じさせてくれるんですね。
太平洋ベルト地帯にお住まいの皆様も来年はピンクの桜を見に来てください。葉桜になっていたとしても、葉っぱまで桜らしいです。桜餅に巻いてあるあの葉っぱですから。

で、今回は春の白馬村をお届けいたします。
最初の3枚は大出の吊り橋です。白馬村へ移住して来て最初にしたかったことがここをハチと散歩することで、新しいアパートは吊り橋まで1㎞ちょっとなので今では毎日通ってます。(写真 1・2・3)

吊り橋までの散歩道。水仙と畑と白馬三山。(写真 4)

白馬村には小規模なお墓があちこちにあり、そのお墓の隅の一本桜と北アルプス。桜から左へ唐松岳・五竜岳・鹿島槍ヶ岳。(写真 5)

いたるところを流れる水路脇に咲き乱れる花々と白馬三山。(写真 6)

日々是白馬村 part 31

4月15日、引っ越しが完了しました。こちらに来て7ヵ月半でまた引っ越し。ちょっと疲れました。
それに15日の最高気温は25.4度で夏日じゃんか。やめてくださいってば、本当に。
けど17日からは最高気温も17度前後に戻り、風があると肌寒さを感じるんですが暑いよりずっといい。
そして白馬村でも桜が咲き始めました。
さいた、さいた、さくらがさいた。
何より嬉しいのはソメイヨシノ以外の桜があちこちに咲いていて、ソメイヨシノが目立たないということ。
あるにはあるんですよ、ソメイヨシノ通りみたいなのも。けど単調で面白くないので色のある桜を目指してハチと散歩してます。日本人はいつから桜=ソメイヨシノになってしまったのでしょう。
で、残雪のアルプスを背景に色の鮮やかな桜の写真を撮りたいのですが、黄砂の影響なのかアルプスは春がすみの中。こんなボケたアルプスになってしまいます。(写真 1)

なので他の話題をお届けすることにします。
ハチとの新しい散歩道は東西南北どちらへ行っても新鮮で毎日いくつも発見があって楽しいんですが、これにはちょっと驚いてしまいました。
アパートの前に白馬高校のグラウンドがあることは前回お話ししましたが、白馬高校の南隣りには白馬北小学校があります。
高校と小学校の間の道も桜並木があり、やっぱり学校といえばソメイヨシノになってしまうんですね。けどハチがそちらへ行きたがるので歩いていたら、小学校の体育館横に何か見慣れぬものがありました。んっ、何だあれは?
写真中央、体育館と少数派ソメイヨシノにはさまれたの茶色い建造物がそれです。(写真 2)

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日々是白馬村 part 30

大谷選手のドジャース初ホームランにテレビ各局は朝から晩まで大騒ぎ。開幕から9試合目だそうで、9方陣の中心は41。大谷選手も41打席目なんですってね。おめでとうございます。

さて、小林製薬の社長の顔が辻元清美議員に見えて仕方ない今日このごろ、白馬村の冬は完全に終わりました。そして4月1日、”41“の日に新しいアパートの鍵を受け取り、人生8回目の引っ越しを始めました。

ついに、ついに冬が終わってしまいました。
3月26日以降は早朝の最低気温がマイナスにならなくなってきたのでヤバいと思ってましたよ。
日中の最高気温なんて18度前後の日が続くもんだからハンパないスピードで雪が溶けてしまい、道端ではそこらじゅうでフキノトウが新しい命を芽吹かせ、その隣りでは可憐な花が彩りを添えてくれてます。フキノトウって国道沿いであろうが、アパートの駐車場脇であろうが、田畑のあぜ道であろうがどこにでもでも芽を出すんですね。(写真 1・2)

どれだけ冬が厳しかろともちゃんと春の訪れを待っていて、なんて健気なんでしょう。1日3回、ハチの散歩は冬でも春でも楽しさは変わりませんでした。
冬が去るのを名残惜しいと思っていましたが、小さな命の輝きを目にすると春の訪れってやっぱり嬉しいものですね。白馬村はこれからしばらく残雪と新緑のまばゆい季節を迎え、色鮮やかな心地よい日々が続きます。
…………と言いたいところですが、4月に入る前からすでに毎日が暑いです。春というよりは夏弱って感じです。震度5弱みたいな。

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日々是白馬村 part 29

今から60数年前、ボクの母がまだ学生だったころのお話しです。当然ながらボクはこの世に存在してません。
母は若かりしころスキーをするために白馬村へ来ると五龍館を訪ね、布団部屋に寝泊まりさせてもらいつつ旅館の仕事を手伝っていたそうです。
仕事が一段落する昼前になると女将さんがおにぎりを握ってくれるので、母はそのおにぎりをリュックにつめて八方尾根スキー場へ滑りに行っていたとのこと。夕食の準備が始まる時間には旅館へ戻ってまた手伝いをしていたのでしょう。
そんな訳でボクも幼いころから白馬村へ連れて来られていて、ボクの白馬村好きは母から受け継いだ遺伝子に刻まれているので年季が入っています。
現在の五龍館(写真 1)。

今はこのように立派なたたずまい(写真中央よりやや右の大きな建物)で、背後が八方尾根スキー場。左にはジャンプ台が、その左上に五竜岳が見られます。五竜岳と五龍館。
母が来ていたころはもう少しスキー場に近い位置の小さな旅館で、半世紀以上前にボクが初めて五龍館を訪れたときの写真が残ってました。
母は2012年に他界しましたが、ボクが白馬村へ移住したことを知ったら相変わらずのアホさ加減に呆れつつも羨ましがるかもしれないですね。

母が愛知県春日井市から汽車で白馬村へ来ていたころの白馬駅はまだ信濃四ッ谷駅という名前でした。信濃四ッ谷駅が白馬駅になったのは昭和43年10月1日のことです。
東京には中央線に信濃駅と四ッ谷駅が並んでいるので何かしら白馬村と関連があるのではと出版社の「0898(Oh!白馬)」氏に調べてもらったところ、信濃駅は信濃国(長野県)との関係が確認されましたが、四ッ谷駅は白馬村との関わりはなさそうでした。

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日々是白馬村 part 28

次のアパートの契約をしてきたら番地が8848で、チョモランマ(サガルマータ)の標高と同じでした。メートル単位で。
一般的にはエベレストと呼ばれていますがチベットではチョモランマ、ネパールではサガルマータとの現地名があるのだからイギリス人の名前で呼ぶのは止めましょう。山にも失礼ですし。

白馬へ来てから気付いたんですが、ホテルや旅館の送迎バス以外にも「898(ハクバ)」ナンバーの車がめちゃくちゃ多くて、他府県ナンバーでも「898」を頻繁に見かけます。
白馬村は松本ナンバーなので白馬好きは「898」を取得するんでしょうね。白馬ナンバーがあればいいのですが、人口が少ないので無理みたいです。
ボクはまだ名古屋ナンバーですけど、松本ナンバーに変えたら何番にしようか迷っていて、いくらなんでも「898」だけは避けるつもりです。ありふれてるので。
白馬を数霊にすると
ハ=26、ク=8、バ=66
で、合計が「100」になるんですが「100」は富士山のイメージが強いのでどうしたもんかと悩むところです。
フ=28、ジ=60、サ=11、ン=1
ね、「100」でしょ。
ちなみにお世話になっている出版社の担当者は携帯番号の下4桁が「0898」なんです。
それって「Oh!白馬」なので羨ましい番号だ。
それと、白馬村では車を買っても車庫証明は要りません。どの家にもどのアパートにも駐車場があるのが当たり前だから、車庫証明なんて必要ないんです。
以前から疑問に思っていることがありまして、戦車は車庫証明があれば都会でも所有できるのでしょうか。

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日々是白馬村 part 27

3月を迎え、ハチを道連れに白馬村へ越す床してから半年が過ぎました。
ハチが寒い白馬村の冬に対応できるだろうかと心配してましたけど特に問題ありませんでした。昨日も気になるニオイを追いかけ雪の中へ自ら突入して行き、笑わせてくれています(写真 1)。

それにしても意外だったのは、朝方の最低気温がマイナス15度前後でも早朝は空気が静止してるのでちっとも寒くないということ。指先以外は。
手袋を二重にしていても指先だけは冷たいというより痛くて痺れてきますが他はまったく大丈夫なんです。足先が寒いとか冷たいと思ったことは一度もありませんでした。スペシャル長靴のお陰で。

ホームセンターやワークマンなどには安いものだと2千円台3千円台から各種長靴がたくさん並んでます。ですがどうしても買う気になれず、白馬駅の並びにある地元の靴屋さんへ行ってみました。
さすが雪国の靴屋さんですね。カッコいい長靴がたくさんあり、まず気になったのは全体に幾何学模様の柄がプリントされた長靴で1万2千円。んー、ちょっと予算オーバーだ。

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糺日本書紀 part 26

このコーナーをほったらかしにして2月23日で丸2年。ちょうど天皇誕生日ですね。
そして翌日24日はロシアがウクライナに侵攻して丸2年ということになりますが、何をやっているんでしょう人類は、この期に及んで。

気が付いたら日々是白馬村が part 26になっていて弥栄古代史研究室を追い抜いたので追い付き返します。別に古代史から離れていた訳ではありません。ただ、あまり集中できない時期があってついついそのままにしてました。
今回も part 24と25に続いて讖緯説(しんいせつ)話題です。(以下、シンイ説で)
久しぶりなのでシンイ説とは何かを説明しておきます。
歴史を書き残す場合、史実をそのまま書くと為政者にとって不都合になってしまうような出来事や隠しておきたい事件などを自然現象に置き換えて、一応は歴史に残しておく。それがシンイ説です。
完全に史実を抹殺して何も残さないと後世の人はそれらの出来事や事件を知りようがなくなってしまいますが、不可思議な自然現象としてでも残してくれてるのは編纂者の思いやり、親切心、まごころ、正義感、そして権力への静かな抵抗なのでしょう。
ですから古代史を解明する場合、シンイ説を理解しないことには史実・真実は見えてこないということ。

やっと、本当にやっと日本書紀の読み方が少しだけ身についてきました。いったい何年かかったことか。
今でこそはっきり言い切れますが、日本書紀も古事記もそのまま読んでるだけでは絶対に史実は理解できませんし、それは高句麗・新羅・百済の歴史書であっても中国(隋・唐)の書であってもです。というか、シンイ説は中国からの輸入です。

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